両陛下は、これまで毎年終戦の日にはお住まいなどで黙とうしてきましたが、代替わりを経たことし、上皇ご夫妻にかわって初めて式典に出席されました。
そして、正午の時報とともに参列者全員で黙とうをささげたあと、天皇陛下が、戦後生まれの天皇として初めてとなる、おことばを述べられました。
天皇陛下は冒頭で、これまでの上皇さまと同様、「さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします」と述べられました。
そして、戦後の日本の歩みを振り返る部分では、上皇さまのおことばの「苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません」という表現を、「多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき、誠に感慨深いものがあります」と言いかえられました。
そして、戦没者を追悼し平和を願う結びの一文では、上皇さまの「深い反省とともに」という表現を、「深い反省の上に立って」と言いかえ、「再び戦争の惨禍が繰り返されぬことをせつに願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和とわが国の一層の発展を祈ります」と述べられました。
天皇陛下のおことばは、戦争を体験していない世代として言い回しが変えられた部分はあるものの、「深い反省」という表現など、上皇さまのこれまでのおことばをほぼ踏襲し、戦争と平和への思いを受け継ぐものとなりました。
式典の会場では、参列した遺族の代表らが、天皇陛下のおことばにじっと耳を傾けていました。
天皇陛下のおことば全文
本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。終戦以来74年、人々のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき、誠に感慨深いものがあります。戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。
上皇さまの思い受け継ぐ
戦後生まれの天皇陛下は、上皇さまの思いを大切に受け継ぎながら、戦争の歴史と向き合い平和を願われてきました。
上皇さまは以前、日本では記憶しなければならない4つの日があるとして、終戦の日と、広島、長崎の原爆の日、それに、沖縄戦で旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる6月23日の「慰霊の日」を挙げ、これらの日には欠かさず黙とうされてきました。
天皇陛下も子どもの頃から、これらの日には黙とうし、上皇ご夫妻から戦争の悲惨さについて話を聞かれてきました。
昭和の時代、上皇ご夫妻は、沖縄から上京した「豆記者」の子どもたちと毎年のように懇談されていましたが、まだ子どもだった天皇陛下もこの懇談にたびたび加わり、沖縄の歴史や文化への理解を深められました。
天皇陛下は、昭和62年に初めて沖縄を訪れ、戦没者の慰霊に臨んだほか、「ひめゆりの塔」では、戦争当時の女学生たちから話を聞かれました。
天皇陛下は、この訪問について、のちの記者会見で、「戦争の痛ましさ、そして戦前、戦後と沖縄のたどてきた苦難の道に思いを致しましたし、それと共に平和の尊さ、そして大切さというものを強くかみしめました」と振り返られています。
平成に入り皇太子になると、天皇陛下は、戦争と平和への思いを行動で示されていきます。上皇ご夫妻から「豆記者」との懇談を受け継ぎ、去年まで毎年のように沖縄の子どもたちなどと交流されてきました。
広島や長崎を訪れる機会があると、戦没者の慰霊に臨む一方で、被爆者が暮らす施設をたびたび訪れ、そのことばに耳を傾けることを大切にされてきました。
また平成19年のモンゴル訪問の際には、第2次世界大戦後、旧ソビエトによって抑留され、過酷な労働で命を落とした日本人の慰霊碑を訪れ、花を手向けられています。
戦後70年を迎えた平成27年、天皇陛下は、誕生日にあたっての記者会見で「私自身、戦後生まれであり、戦争を体験しておりませんが、戦争の記憶が薄れようとしている今日、謙虚に過去を振り返るとともに、戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に、悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切であると考えています」と話されました。
また翌年の会見では、「過去の経験に少しでも触れる機会を通じて、戦争の悲惨さ、非人道性を常に記憶にとどめ、戦争で亡くなられた方々への慰霊に努めるとともに、戦争の惨禍を再び繰り返すことなく、平和を愛する心を育んでいくことが大切だと思います」と述べられています。
愛子さまはお住まいで黙とう
天皇皇后両陛下の長女の愛子さまも、お住まいの赤坂御所で、正午の時報にあわせて黙とうをささげられました。
宮内庁によりますと、愛子さまは、毎年、終戦の日には、両陛下とともに黙とうをささげてきましたが、ことしはお一人で黙とうされました。
愛子さまは、これまで、両陛下と戦争に関する展示会を訪れたり、遺族の話を聞いたりして、戦争や平和への考えを深められてきました。
中学生の時には、修学旅行で広島市の平和公園を訪れ、その経験をもとに卒業文集に「世界の平和を願って」と題する作文を寄せ、「唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、自分の目で見て、感じたことを世界に広く発信していく必要があると思う」などと記されています。
「説得力のあるおことば」 ノンフィクション作家 保阪氏
ノンフィクション作家の保阪正康さんは、天皇陛下のおことばについて「戦争を体験していないという前提に立ちながらも、上皇さまや昭和天皇の思いを引き継いでいるかなり説得力のあるおことばだと思った。戦争を直接は知らないけれども、その悲惨さを伝えていきたいといった天皇陛下の思いが込められていて、安ど感や安らぎのような気持ちを覚えた」と述べました。
また、上皇さまが「深い反省とともに」と述べられていた部分を、天皇陛下が「深い反省の上に立って」と言いかえられたことについて、「これは重要な違いで、上皇さまのことばは、同じ時代を歩みながら戦争を受け止めてきた立場でのものだが、天皇陛下のことばは、戦争を歴史的な見方で捉えたうえで、『深い反省』を自分が次の時代につないでいくという思いをあらわしたものだと言える」と話していました。
「遺族への気持ちが強く伝わってくる」
追悼式に出席した沖縄県遺族連合会会長の宮城篤正さんは(78)天皇陛下が皇太子として沖縄を訪ねられた際にことばを交わしたこともあり、15日のおことばに注目していました。
おことばについて宮城さんは、「遺族への気持ちが強く伝わってくるもので、上皇さまの思いを確実に受け継いでいらっしゃると感じられ、よかったと思います。戦没者に対する哀悼のことばも非常に思いのこもったものでした」と話していました。