金田さんは昭和44年に現役を引退したあと、ロッテの監督を昭和48年からの6年間と平成2年からの2年間の合わせて8年間務め、昭和49年にはリーグ優勝と日本一に導きました。
6日に金田さんが亡くなったことを受けて、千葉市のZOZOマリンスタジアムで行われたロッテの秋季練習ではバックスクリーンに映し出された日本一を達成して胴上げされている金田さんの写真に向かって、井口監督や選手それにチームスタッフがおよそ1分間、黙とうをささげました。
また球場には哀悼の意を表して球団の半旗が掲げられたほか、選手は左腕に喪章をつけて練習を行いました。
井口監督は「ことしも東京ドームでお会いして話をさせていただいたのでまさかという気持ち。気さくにいろんな話をしていただいて、僕が監督になったときも監督がどういうものかを教えていただいた。記録を見ればピッチャーとして400勝だが、われわれには監督というイメージしかない。昭和49年にロッテが優勝して日本一になったときの監督でもあるので、われわれがその思いを継いで、来年、優勝したいと思う。本当にパワフルだった金田さんのように選手を引っ張っていけるような監督になりたい」と話していました。