ラグビーの熱狂が再びやってくる!秋に開催されるワールドカップ フランス大会、日本の新たな司令塔として活躍が期待される在日コリアンの李承信。道なき道に挑む若武者の激闘の姿を追った。
しかし、小学6年生のある日。李選手たち兄弟は父に呼ばれた。 そこで告げられた。 「オモニ(母)は、もうあと少しかもしれない」 闘病中だった母の容体が思わしくなかった。
乳がんの中でも進行がはやい「炎症性乳がん」。数年前から入退院を繰り返し、闘病生活を送っていた。 そばで見守っていた李選手の父・東慶さんが当時を振り返る。
「手術して再発して、余命1年と言われましてね。そこから東京や京都など、いろいろ有名な先生のところに行きました。でもやっぱり、どの先生もあと1年だと言っていました。なかなか薬も効かず、本人は本当につらい思いをしたなと思います」
「承信が高校を卒業するまでは生きたいな」 しかし、その願いはかなわなかった。
「入退院を繰り返していて、病気だというのは子どもながらに理解していましたが、亡くなった当初は、あまり信じられなかったというか実感がなかったですね。死なないだろうと思っていたので」
「ラグビーをしているとき、常にそばにいてくれたのが、お母さんでした。自分はけっこう調子に乗るタイプだったんですけど、その鼻を折ってくれるというか『常に謙虚に』と教えてくれたのは、お母さんでした。お父さんじゃなくて、お母さんからよく『練習しなさい』と言われましたね」
そんな母との思い出を話してくれた。
「2019年のワールドカップに絶対出てな」 (李承信 選手) 「それは、まだ無理やろ」
出ようとすれば李選手は、まだ18歳。 日本のトップ選手に交じって代表入りするのは現実的ではなかった。 それでも母は、繰り返し、わが子に思いを伝えていた。
「ワールドカップは憧れではあったんですけど、正直、現実的に行けるとは思っていませんでした。でも、お母さんは、それを信じて願ってくれていました」 母が言っていた2019年大会の出場はかなわなかった。 それでも4年後の今、手が届くところに憧れのワールドカップがある。
李少年を再び試練が襲った。 腎臓の病気にかかり長期の入院生活を余儀なくされたのだ。
医師からは「何年かはスポーツができなくなるかもしれない」と宣告された。 母を亡くしショックを受けていた時期。 悲しさと不安にさいなまれ、李少年は病院のベッドで泣いた。
「ダブルパンチだったと思います。あの時だけはだいぶ落ち込んでいましたね。あれ以来、承信の泣いた顔は見たことないので、かなり大きなことだったんだと思います」
(父・東慶さん) 「大丈夫。心配すんな。これ以上、悪いことはない」
父は「亡くなったオモニ(母)が助けてくれたんちゃうかな」と語った。
その姿を親戚やラグビースクールの保護者たちが支えてくれた。
「必死に生きるしかなかったですね。いくら悲しんでも、お母さんは戻ってこないので。どれだけお父さんに迷惑かけずに家族のために頑張れるか。お母さんが亡くなってからは自分自身、本当にひとりの人間として強くなったと思います」
ついに日本代表としてデビュー。
朝鮮学校出身者として初めての日本代表。 李選手が新たな道を切り開いた。 「日本代表になってほしい」という母の願いをかなえることができた。
ワールドカップに向けて視界は良好だった。
2月のリーグワン。 李選手は、コベルコ神戸スティーラーズの司令塔として、首位・埼玉パナソニックワイルドナイツと対戦した。 前半16分、密集の中で味方のひざが顔面を直撃。 あまりの痛さにうずくまる李選手。 そのまま交代となった。
ロッカールームに引き上げ、うなだれるしかなかった。 ものが二重に見えたり、ゆがみが出たりして、しばらくの間、痛みと気持ち悪さが続いた。
チームのために役割を果たせなかった。 申し訳なさとともに、ワールドカップへの不安が頭をよぎった。
李選手は、その苦難をどう乗り越えたのか。 そこには亡き母の存在があった。 (李承信選手) 「つらい時期があると、お母さんの闘病生活を想像して、常にお母さんに置き換えながら考えています。自分が感じるプレッシャーやつらさは、お母さんに比べたら全然へっちゃらなんだって。そういうふうに置き換えながら過ごしています。すごく強い存在でしたね、お母さんは」
亡くなってもなお、背中を押してくれている母とともに。
そこには、母が幼い息子にあてた手紙があった。
名前の承信の「信」には「信頼される人になってほしい」という願いが込められている。 久しぶりに手紙を読んだ李選手は懐かしそうに語った。
「常に信頼される人になってほしいっていうのは言われていました。まだ22歳ですけど、より信頼されて強くて優しい人間になりたいなと心の底から思いますね」
涙をこらえながら語った。 (父・東慶さん) 「この手紙にはオモニ(母)の気持ちが入ってますよね。承信はそのように育っていると思います」 その表情はどこか誇らしげだった。
日本代表は6月から千葉県浦安市や宮崎市で合宿を行い、最終メンバーを33人に絞り込む。 母の思いを胸にフランスの地で輝けるか。 李承信選手の本当の戦いが始まる。
がんと闘った母
“ワールドカップに出てほしい”母の願い
どん底の入院生活 “支えとなった父”
“必死に生きるしかない”
ワールドカップイヤーに
強く優しい子に育って 手紙に込められた思い
「『ワールドカップに出てほしい』って、ずっと言われていました。だから、お母さんのためにも出たい思いが強いですね」
9月に開幕するワールドカップフランス大会。大舞台を目指す日本代表の若き司令塔と、その家族の物語です。
(スポーツニュース部 記者 小林達記)