今場所は、前に出る圧力が増して白星を重ね13日目には貴景勝、14日目には朝乃山と両大関を破って13勝2敗の成績で初優勝を果たしました。
直近3場所の勝ち星の合計は「32」で、大関昇進の目安とされる「33」には届かなかったものの、昇進の議論を預かる日本相撲協会審判部の伊勢ヶ濱審判部長は、「ここ5場所を見てもわかるとおり、勝ち星が安定している。よく前に攻めている相撲内容だ。大関は常に優勝争いに絡まないといけないが、その実力があると認めたということだ」と述べました。
そのうえで八角理事長に大関昇進に向けた臨時理事会の招集を要請したことを明らかにしました。
これを受けて、秋場所後の今月30日に臨時理事会の開催が決まり、正代の大関昇進が確実になりました。
ことしに入って新大関が誕生するのは、3月の春場所後に昇進した朝乃山に続き2人目です。
28歳と10か月の正代は、年6場所制が定着した昭和33年以降に初土俵を踏んだ力士では7番目に年長での大関昇進となります。
熊本県出身の力士の大関は7人目で、昭和37年名古屋場所で新大関となった栃光以来、およそ58年ぶりです。
また、時津風部屋からの大関の誕生は、昭和38年春場所で新大関となった豊山以来、およそ57年ぶりです。
大関昇進の目安と過去の事例
大相撲の大関昇進について明文化された基準はありませんが「3場所連続で三役を務め、合わせて33勝以上」が目安とされています。
正代は関脇で臨んだことし3月の春場所で8勝、7月場所では11勝を挙げました。
今場所は、13日目に貴景勝、14日目に朝乃山の両大関を破るなど13勝2敗で初優勝を果たし、直近3場所の勝ち星を、目安には1勝届かないものの、32勝としていました。
関脇に復帰する前のことし1月の初場所では前頭4枚目でしたが、千秋楽まで優勝争いに加わり、13勝を挙げていました。
大関昇進の判断は日本相撲協会の審判部に委ねられていて、過去には、この目安を満たさずに昇進した例もある一方で、満たしたのに昇進しなかったケースもあります。
ことし3月の春場所後に大関に昇進した朝乃山は目安に1つ足りない32勝でしたが、新三役から3場所続けてふた桁勝利を挙げたことや四つ相撲の安定感を評価されて昇進を果たしました。
平成24年の九州場所後に大関に昇進した稀勢の里と平成26年の名古屋場所後に昇進した豪栄道も、3場所で合わせて32勝と目安には白星が1つ足りませんでした。しかし、それまでの安定した成績が評価されて昇進となりました。
一方、雅山は大関から陥落したあと、三役で迎えた平成18年の名古屋場所までの3場所で、10勝、14勝、10勝を挙げて合わせて34勝としましたが、大関復帰はなりませんでした。
このほか把瑠都は、平成22年の初場所までの3場所でいずれも三役を務め12勝、9勝、12勝を挙げて合わせて33勝としましたが、昇進は見送られ、14勝を挙げた次の春場所後に大関昇進を果たしました。
大関昇進 今後の流れ
大関昇進の議論を預かる日本相撲協会の審判部は、今月30日に東京・両国の国技館で11月場所の番付編成会議を行い、国技館内の別の場所で行われる臨時の理事会に正代の大関昇進を諮ります。
理事会の決定をもって大関昇進が正式に決まり、協会が使者を派遣し、正代に大関昇進を伝達します。
伝達式では、新大関がどのようなことばで使者に答えるか、その口上が注目されます。