太平洋戦争中フィリピン沖で
撃沈された
旧日本海軍の
戦艦「
武蔵」の
建造に
使われた
200枚に
上る
設計図が
今も
残されていることがわかり、
初めて
NHKに
公開されました。
専門家は「
歴史の
一部を
確定する
上で
貴重な
資料だ」と
話しています。
武蔵は
旧日本海軍が
極秘に
開発した
当時、
世界最大級の
戦艦で、
太平洋戦争末期の
昭和19年10月、フィリピンのレイテ
湾に
向かう
途中、アメリカ
軍によって
撃沈されました。
去年、フィリピン
沖の
海底で
発見されるまで、
長く
所在がわから
なかったうえ、
軍が
写真や
設計図などの
処分を
命じたため
資料が
ほとんど
残っておらず、
詳細は
謎に
包まれていました。
その武蔵の建造に使われた設計図の一部、およそ200枚が武蔵を建造した三菱重工業長崎造船所に残されていることがわかり、NHKに初めて公開されました。設計図はエンジンや機関室のボイラーなどパーツごとに分かれていて、途中で改良のため加筆されたと見られる部分が、赤いインクで書き込まれています。また武蔵が完成した直後の昭和17年に資料として保管されたことを示す印も押されています。
中には「軍艦武蔵」という文字が墨で消された跡が残っている図面もあり、極秘プロジェクトとして建造が進められた武蔵に関する情報の取り扱いが厳重に管理されていたことがうかがえます。
広島県にある「大和ミュージアム」の館長で、旧日本海軍の歴史に詳しい戸高一成さんは、「オリジナルの図面が残っていたことには驚いた。武蔵建造の試行錯誤の努力や苦労のあとがうかがえる図面で、歴史の一部を確定するうえで貴重な資料だ」と話していました。
「当時の技術レベル確認」
広島県にある「大和ミュージアム」の館長で、旧日本海軍の歴史に詳しい戸高一成さんは、設計図について「武蔵を建造したときの図面の原本が残っていたことには驚いた。軍艦の図面は、終戦のときに軍の命令でほとんどが焼却され、今では偶然残ったものしかない。どんな断片でも貴重な資料だ」と話しています。
また、設計図の内容について「武蔵を造り上げていく段階の試行錯誤と苦労のあとがうかがえる図面だ。歴史の一部を確定するうえで価値があり、改めて当時の技術レベルが確認できる貴重な資料だ」と指摘しています。
そのうえで、「武蔵の建造プロセスなどをうかがう資料として、今後の参考になると思われ、資料によってこれまで詳細がわかっていなかった武蔵について、より多くのことが判明することを期待したい」と話していました。