阪神はんしん淡路あわじ大震災だいしんさいからねん もくとうし犠牲ぎせいしゃいた

Easy Japanese news
Jan 17, 2017 06:01
Furigana
ろくよんさんよんにんくなった阪神はんしん淡路あわじ大震災だいしんさいからいちななにちねんとなり、神戸こうべなどおおきな被害ひがいけた地域ちいきでは、遺族いぞくなどが、地震じしんきた午前ごぜんよんろくふんもくとうし、犠牲ぎせいしゃいたみました。このうち神戸こうべ中央ちゅうおう東遊あずまあそび園地えんちでは、およそななぜろぜろぜろほんたけとうろうが地震じしんきたの「いちいちなな」や「ひかり」という文字もじかたちならべられ、遺族いぞく被災ひさいしたひとたちが地震じしんきた午前ごぜんよんろくふんもくとうをして、犠牲ぎせいしゃいのりをささげました。

このあと、敷地しきちないにある慰霊いれいまえでは神戸こうべ主催しゅさいする追悼ついとうつどいがひらかれ、震災しんさい神戸こうべ東灘ひがしなだにあった自宅じたく全壊ぜんかいし、当時とうじさんさいつまくした大阪おおさか和泉いずみ会社かいしゃいん大鳥居おおとりいまきつかささん(はち)が追悼ついとう言葉ことばべました。大鳥居おおとりいさんは、「かなしみを乗り越のりこえ、つまがいない日常にちじょう受け入うけいれた現在げんざいでも、さみしいです。仕事しごと子育こそだてもこれからというときに、突然とつぜんいのちうばわれたつまはさぞかし無念むねんだったとおもいます。ゆめでもしえたなら、そんなつまはなしいてあげたいし、わたしたくおもいもきたいです」とかたりました。

いちななにち各地かくち追悼ついとう行事ぎょうじおこなわれることになっていて、犠牲ぎせいしゃいたむとともに、発生はっせいからねん経過けいかつめなおして、震災しんさい経験けいけん教訓きょうくん語り継かたりついちにちとなります。

つどいにおとずれたひと

ろくさい女の子おんなのこれて東遊あずまあそび園地えんちおとずれた神戸こうべ西にしさんよんさい女性じょせいは、「毎年まいとしあしはこんでいます。小学生しょうがくせいのときに震災しんさいにあい、焼け野原やけのはらになったのをいまでもおぼえています。毎年まいとし、このになると震災しんさいという言葉ことばきますが、年々ねんねん意識いしきうすれているがします。震災しんさい教訓きょうくんわすれないためにも、きょうはどもと一緒いっしょかんがえるにしたいとおもっています」とはなしていました。

神戸こうべきた市井いちい雄太郎ゆうたろうさん(いち)は、「震災しんさいきたとき、わたしははのおなかのなかにいました。震災しんさい祖父そふくなり、祖父そふから名前なまえいち文字もじゆずってもらいました。いちねんいちかいここにることで、毎年まいとし祖父そふ自分じぶん成長せいちょう報告ほうこくしています。震災しんさいらないわたしたちの世代せだいはこの場所ばしょて、あらためて防災ぼうさいについてかんがえていくべきだとおもいます」とはなしていました。

震災しんさい自宅じたく全壊ぜんかいしたという神戸こうべ東灘ひがしなだなないちさい女性じょせいは「当時とうじ近所きんじょひとたちがみな家族かぞくをなくし、自分じぶんがこの場所ばしょにくることがおこがましく、ねんたってようやくいのりにることができました。震災しんさいあさ自分じぶん透析とうせき治療ちりょうける予定よていで、地震じしんのち病院びょういん転々てんてんとしたときの不安ふあん気持きもちを思い出おもいだすと言葉ことばになりません。震災しんさい記憶きおくうすれてくる一方いっぽうで、神戸こうべボランティアひとたちのちから全国ぜんこく被災ひさい支援しえんとどいていることは、すばらしいことだとおもいます」とはなしていました。

震災しんさい当時とうじろくよんさい母親ははおやくした、神戸こうべ兵庫ひょうごはちさい女性じょせいは、「ははくなってからねんもたちますが、ながいようでみじか時間じかんでした。このむかえると、当時とうじのことを思い出おもいだします。くなったははおもいをはせ、二度にどとこのようなことがきないよう、きょうはお祈おいのりしました。震災しんさいらないわか世代せだいえていくなか当時とうじのことをはなすことでひとあたたかさや、きずな大切たいせつさを感じ取かんじとってほしいです」とはなしていました。

阪神はんしん淡路あわじ大震災だいしんさいをきっかけに防災ぼうさい専門せんもんまな学科がっかもうけられた兵庫ひょうご県立けんりつ舞子まいこ高校こうこうさんねん女子じょし生徒せいとは、「このはるからそれぞれ、大学だいがく専門せんもん学校がっこうすすむため、つぎられないかもしれないとおもい、友達ともだちにんでつどいにました。震災しんさい経験けいけんしていない世代せだいですが、神戸こうべ震災しんさいのことをまなつづけてきたので、震災しんさいらないどもたちに防災ぼうさいいのち大切たいせつさをしっかりつたえていきたいとおもいます」とはなしていました。

5
4
3
2
1