このあと、敷地内にある慰霊碑の前では神戸市が主催する追悼の集いが開かれ、震災で神戸市東灘区にあった自宅が全壊し、当時32歳の妻を亡くした大阪・和泉市の会社員、大鳥居慎司さん(58)が追悼の言葉を述べました。大鳥居さんは、「悲しみを乗り越え、妻がいない日常を受け入れた現在でも、さみしいです。仕事も子育てもこれからというときに、突然命を奪われた妻はさぞかし無念だったと思います。夢でもし会えたなら、そんな妻の話を聞いてあげたいし、私へ託す思いも聞きたいです」と語りました。
17日は各地で追悼行事が行われることになっていて、犠牲者を悼むとともに、発生から22年の経過を見つめ直して、震災の経験や教訓を語り継ぐ1日となります。
集いに訪れた人は
6歳の女の子を連れて東遊園地を訪れた神戸市西区の34歳の女性は、「毎年足を運んでいます。小学生のときに震災にあい、焼け野原になったのを今でも覚えています。毎年、この日になると震災という言葉は聞きますが、年々意識が薄れている気がします。震災の教訓を忘れないためにも、きょうは子どもと一緒に考える日にしたいと思っています」と話していました。
神戸市北区に住む市井雄太郎さん(21)は、「震災が起きたとき、私は母のおなかの中にいました。震災で祖父は亡くなり、祖父から名前の一文字を譲ってもらいました。1年に1回ここに来ることで、毎年、祖父に自分の成長を報告しています。震災を知らない私たちの世代はこの場所に来て、改めて防災について考えていくべきだと思います」と話していました。
震災で自宅が全壊したという神戸市東灘区の71歳の女性は「当時近所の人たちがみな家族をなくし、自分がこの場所にくることがおこがましく、22年たってようやく祈りに来ることができました。震災の日の朝、自分は透析治療を受ける予定で、地震の後、病院を転々としたときの不安な気持ちを思い出すと言葉になりません。震災の記憶が薄れてくる一方で、神戸のボランティアの人たちの力で全国の被災地に支援が届いていることは、すばらしいことだと思います」と話していました。
震災で当時64歳の母親を亡くした、神戸市兵庫区に住む58歳の女性は、「母が亡くなってから22年もたちますが、長いようで短い時間でした。この日を迎えると、当時のことを思い出します。亡くなった母に思いをはせ、二度とこのようなことが起きないよう、きょうはお祈りしました。震災を知らない若い世代が増えていく中、当時のことを話すことで人の温かさや、絆の大切さを感じ取ってほしいです」と話していました。
阪神・淡路大震災をきっかけに防災を専門に学ぶ学科が設けられた兵庫県立舞子高校3年の女子生徒は、「この春からそれぞれ、大学や専門学校に進むため、次は来られないかもしれないと思い、友達と2人でつどいに来ました。震災を経験していない世代ですが、神戸で震災のことを学び続けてきたので、震災を知らない子どもたちに防災や命の大切さをしっかり伝えていきたいと思います」と話していました。