大阪・
茨木市の
弥生時代の
遺跡から、
140もの
墓が
集まった
大規模な
墓地の
跡が
見つかりました。
墓の
数が
多くさまざまな
大きさが
混在していることから、
専門家は「
物流で
栄えた
地域で、
階層的な
違いが
芽生えたことがうかがえる」と
注目しています。
茨木市松下町の「
郡遺跡・
倍賀遺跡」で
大阪府文化財センターが
発掘調査をしたところ、
集落の
跡とは
別の
部分に
140もの
墓の
跡が
集まっているのが
見つかりました。
今からおよそ2000年から2200年前の弥生時代中期のものとみられ、土を四角形に盛り、周りに溝を巡らせた「方形周溝墓」という形をしています。大きなものは縦12メートル、横18メートルに及びますが、小さなものはおよそ3メートル四方で、さまざまな大きさが混在していたということです。
さらに、1つの墓の溝からは、人の姿を表すこけしのような土偶や、長さが通常の3倍のおよそ30センチもある石包丁など、祭しに使われたとみられるものも出土しました。
弥生時代の状態のいい墓の跡がこれほど多く見つかったのは、全国でも珍しいということです。
日本の古代史に詳しい大阪大学の福永伸哉教授は「この地域が物流の拠点として非常に栄えていたことを裏付ける発見だ。墓の大きさが異なることから、階層的な違いが芽生え始めたことがうかがえる」と指摘しています。