昭和42年、組織に追いかけられる殺し屋を描いた「殺しの烙印」を発表したあと、作品の内容や興行成績をめぐって日活の幹部と対立して解雇されました。これに抗議したファンやスタッフらがデモを行うなど一時は社会問題に発展し、鈴木さんは10年間にわたって映画界を離れました。
復帰後、昭和55年に発表した「ツィゴイネルワイゼン」は、大正レトロの雰囲気が色こく残る昭和初期を舞台に、あの世とこの世の境を漂うような不条理な世界観を独特の映像美で見せて、ベルリン国際映画祭で審査員特別賞を受賞したのをはじめ、数多くの映画賞を受賞しました。
その後に製作された故・松田優作さん主演で、けんらん豪華な舞台セットや不思議な世界観が話題となった「陽炎座」と、沢田研二さんの幻想的な美しさが引き立つ「夢二」の2作品を合わせて「大正ロマン三部作」と呼ばれる作品は、鈴木監督の代表作として知られています。
その後も「ピストルオペラ」や「オペレッタ狸御殿」など、斬新な映像表現の作品を作り続けるとともに、白いひげと柔和な風貌でテレビドラマや映画、コマーシャルにも出演し俳優としても活躍しました。
鈴木さんは、最近では、おととしの春にドキュメンタリー映画に出演するため、インタビューを受けていたということですが今月13日、都内の病院で慢性閉塞性肺疾患のため亡くなりました。93歳でした。
大谷直子さん「みんなの尊敬を受けていた」
映画監督の鈴木清順さんが亡くなったことについて、映画「ツィゴイネルワイゼン」に出演した女優の大谷直子さんは「撮影は、全編、鎌倉で合宿のような状態でしたが、監督は、あの風貌のまま、ひょうひょうとされていて、スタッフの中に溶け込んで、みんなの尊敬を受けていらっしゃいました。撮影中は冷静で、大声を出さない印象で、私はまだ20代の生意気ざかりでしたが、監督に『この役ってどうしたらいいか、よくわからないのよね』なんてよく質問していました。監督は『いいんだよ、お嬢さん。僕の言うとおりにしていれば大丈夫だよ』とおっしゃるばかりで、監督の手の上でころころ転がされているようにスムーズに撮影が進んだのがとても印象的でした」と話していました。
そして、「映画史に残るすばらしい作品をたくさん残され、93年という長い人生を生ききったんだと思います。本当にご苦労様でした」と話していました。
高橋英樹さん「ユニークな演出法で勉強になりました」
鈴木清順さんが監督を務めた映画「けんかえれじい」に出演した高橋英樹さんは「日活時代に『けんかえれじい』をはじめ、さまざまな作品でお世話になりました。ユニークな演出法で、当時の若い私にとりましてはとても勉強になりました。ご冥福をお祈りいたします」とコメントしています。
渡哲也さん「演出方法がすごく斬新」
映画監督の鈴木清順さんが亡くなったことについて、俳優の渡哲也さんは「監督に出会ったのは、私が映画の世界に入ってまもないころで、まだ、芝居の「し」の字もわからない時でした。監督からは演技を手とり足とり教えてもらいました。ご一緒したコマーシャルの撮影でも、台本にはなかった踊りをいきなり入れるなど、演出方法がすごく斬新だったのが思い出に残っています。ご冥福をお祈りしてます」とコメントしています。
由紀さおりさん「発想がとても独特」
鈴木清順さんが監督を務めた「オペレッタ狸御殿」に出演した歌手の由紀さおりさんは「出演した映画は俳優の平幹二朗さんと共演したのも思い出で、平さんが旅立たれ、監督も旅立たれて、とてもさみしい思いです。監督からは現場で、『妖怪の役なので、あめ玉を口に入れてセリフを言ってほしい』と言われて、とても驚いた記憶があります。監督の発想はとても独特で、映像の演出も赤とグリーンの色のあでやかないい意味でショッキングな色彩の感覚を持っていました。ご冥福をお祈りいたします」と話していました。