小柴昌俊さんは1926年に愛知県豊橋市で生まれ、東京大学理学部を卒業したあと1987年まで教授を務めました。
岐阜県の神岡鉱山の地下に作られた観測施設「カミオカンデ」の建設を主導し、その後、宇宙の成り立ちを解明する手がかりとなる素粒子「ニュートリノ」の観測に世界で初めて成功。この功績によって2002年にノーベル物理学賞を受賞しました。
東京大学などによりますと、小柴さんは12日夜、病院で亡くなったということです。94歳でした。
小柴昌俊さんは1926年に愛知県豊橋市で生まれ、東京大学理学部を卒業したあと1987年まで教授を務めました。
岐阜県の神岡鉱山の地下に作られた観測施設「カミオカンデ」の建設を主導し、その後、宇宙の成り立ちを解明する手がかりとなる素粒子「ニュートリノ」の観測に世界で初めて成功。この功績によって2002年にノーベル物理学賞を受賞しました。
東京大学などによりますと、小柴さんは12日夜、病院で亡くなったということです。94歳でした。