その結果、湾の東側の沿岸では、高さ7メートルを超える場所に津波の痕跡があり、大きく地滑りが発生した痕跡も湾の西部を中心に少なくとも6か所で見つかったということです。
今村教授らが調査結果を基にシミュレーションを行って解析したところ、地震の揺れで発生した地滑りが海底にも達したことで、同時多発的に津波が起きていたとみられることがわかりました。
地震の発生から沿岸に津波が到達するまでの時間は、短いところで5分足らずしかなかったということです。
被害の大きかった湾の沿岸は、震源から50キロ以上離れていたにもかかわらず、揺れを感じてからわずかな時間で津波に襲われたという証言があり、今回の解析結果はそれを裏付けるものとなっています。
今村教授は、「地震が発生してから津波が来るまでわずかな時間しかなく、沿岸部の人が避難するのは難しい状況だったと考えられる」と指摘しています。
現地調査や海底地形図などで解析
スラウェシ島で発生した津波の状況を解析するため研究グループが行ったシミュレーションには、現地調査で判明した津波や地滑りの痕跡のほか、湾の海底地形図などのデータが使われました。
沿岸で見つかった6か所の地滑りの先にあたる海底の地形は、急な斜面になっていたため、研究グループは、地滑りは地上だけでなく海底でも起きていたとみてシミュレーションしました。
シミュレーションでは、地滑りによって湾の西側5か所と東側1か所で同時多発的に津波が発生すると、一気に波紋が広がり、数分の間に湾内のほぼすべての沿岸に到達する様子がわかります。
特に東側の沿岸には、西側で発生した津波が複雑に重なり合って襲来していて、研究グループは東側の沿岸で津波が高くなった要因の1つとみています。
研究グループは、このほかにも地上や海底で地滑りが発生していた可能性があるとして、さらに解析を進めることにしています。
動画サイト投稿の映像も手がかり
インターネットの動画投稿サイトには、湾の周辺で津波の様子を撮影したとされる映像が投稿され、複数の専門家が当時の状況を知る手がかりになるとして注目しています。
投稿された映像は、先月28日の地震直後にスラウェシ島の湾周辺の海上で船から撮影されたとみられ、沿岸の複数の場所で、陸側から沖に向かって高波が発生している様子がわかります。
映像では、四方八方から何度も押し寄せる高波に船が大きく揺さぶられ、翻弄されている様子もわかります。
津波のメカニズムに詳しい常葉大学の阿部郁男教授が、映像にある地形や建物のほか、津波の様子を捉えた別の映像と合わせて確認したところ、特徴が一致していて、映像の信頼性は高いとしています。
阿部教授は、「陸側から沖に向かって押し寄せる津波は地滑りによる津波の特徴を捉えていて、メカニズムを明らかにするうえで、貴重な映像だ。複数の場所で起きた津波が重なり合って大きくなっていった可能性がある」と指摘しています。
地滑りの津波 国内でも
沿岸部や海底で地滑りが発生したことによって津波が発生したと指摘されている事例は、日本国内にもあります。
(東日本大震災)
7年前の東北沖の巨大地震では、宮城県沖の海底で大きな段差が確認され、複数の専門家が、海底で地滑りが起きて局所的な大津波をもたらしたと指摘しています。
(駿河湾の地震)
9年前の平成21年に駿河湾で起きたマグニチュード6.5の地震では、静岡県焼津市で地震の規模から推定される大きさを上回る、60センチ余りの津波が観測され専門家の調査では、焼津市の東5キロの海底で地滑りが起きたとみられる跡が見つかっています。
(能登半島地震)
平成19年の「能登半島地震」では、津波が震源地に近い石川県よりも、震源地から離れた富山県の沿岸に、20分以上早く到達し、今村教授は、海底の地滑りが原因だとしています。
(島原大変肥後迷惑)
江戸時代の1792年には、長崎県の雲仙・普賢岳の噴火活動中に起きた地震で、近くの山が崩れ落ちて有明海に流れ込み大津波が発生しました。島原半島だけでなく、有明海の対岸の熊本県にも大津波が押し寄せておよそ1万5000人が亡くなり、「島原大変肥後迷惑」と語り継がれています。
今村教授は、「地滑りで津波の可能性がある場所を把握し、津波の速さや規模を推定しておく必要がある。地滑りによる津波は津波警報が間に合わないおそれがあるので、地震が発生したら、警報が出ていなくてもより早く高いところへ避難する必要がある」と指摘しています。