26歳となった今シーズンは、左膝のけがの影響で本来の力を発揮できず国際大会で成績が低迷し、去年12月の全日本選手権でも過去最低の12位となり、その後の世界選手権などの代表を逃していました。
日本スケート連盟の関係者によりますと、浅田選手からは最近になって引退の申し出があったということです。また、10日夜、みずからのブログで「フィギュアスケート選手として終える決断を致しました」と発表しました。このなかで浅田選手は、「自分の望む演技や結果を出すことができず悩むことが多くなりました。去年の全日本選手権を終えた後それまで自分を支えてきた目標が消え、選手として続ける自分の気力もなくなりました」と心境を明らかにしました。そのうえで、「私のフィギュアスケート人生に悔いはありません。笑顔を忘れずに前進していきたいと思ってます。皆様、今までたくさんの応援、本当にありがとうございました」と結んでいます。
関係者によりますと、浅田選手は近く記者会見を開いて、本人の言葉で引退を決意した理由などを明らかにする見通しです。
トップ選手として活躍した戦歴
浅田真央選手は中学3年生で迎えた2005年から2006年にかけてのシーズンから、世界のトップ選手が集うシニアの国際大会に本格的に参戦しました。
グランプリシリーズでは、デビュー2戦目となったフランス大会で荒川静香選手などを抑えて初優勝し、非凡な力をいきなり発揮しました。それ以来、浅田選手は、休養の1シーズンを除いて合わせて11シーズンにわたりトップ選手として活躍を続け、数々の大会で好成績をあげました。
このうちオリンピックでは、バンクーバーとソチの2大会に出場し、初出場のバンクーバー大会で銀メダルを獲得、ソチオリンピックでは6位に入賞しました。
このほかの主な国際大会での優勝は、世界選手権で3回、グランプリファイナルで2連覇を含む4回、グランプリシリーズではグランプリファイナルの4回を含めて15回にのぼり、いずれも日本選手の最多を誇ります。国内最高峰の大会にあたる全日本選手権では4連覇と2連覇の合わせて優勝6回を果たし、11回表彰台に上がりました。このうち、中学2年生だった2004年から2013年までは10大会連続での表彰台でした。
10歳から指導 山田コーチは
現役を引退することになったフィギュアスケート女子の浅田真央選手を10歳から指導した山田満知子コーチは、「引退発表のちょっと前に”辞めることにした”という電話がありました。長い間、世界のフィギュアスケート界を引っ張ってきた選手で、”もういいんじゃないの”と言ったら、”先生にそういってもらえるとうれしい”と答えてくれました。いっぺん言ったことは変えない性格で、オリンピックを目指して復帰すると言ってしまったので本人としてはどんな成績になろうとも約束を守りたいというのがあったと思います。スケートを続けるのか全く辞めてしまうのか分かりませんが、天然でかわいらしい性格を忘れずに、よい人生を生きてほしいです」と話していました。
佐藤コーチ「時間かけて決断したと思う」
バンクーバーオリンピック後の2010年から浅田真央選手を指導してきた佐藤信夫コーチは、浅田選手が練習拠点にしてきた横浜市で取材に応じ、「きのう本人と直接会い、『終わりにしたい』という話を聞いた。本当にご苦労さまという感じだ。自分で決断して答えを持って来たのだと思う。その日によって練習の出来、不出来があり、いろんな思いがあったと思うが、引退を口にすることは一切なかった。時間をかけて決断したと思う。浅田選手は、やるんだという意思の強さが1番すごいところだと思う」としみじみと話していました。
浅田舞さん「21年間、喜びも葛藤も」
浅田選手の姉で、元フィギュアスケート選手の浅田舞さん(28)は、「本当に彼女が引退する日がくるものなんだと、今がその時なんだと、まだ私自身が信じることが出来ていません。フィギュアスケートを始めてから21年間、長年トップ選手として活躍し続けていた中には喜びも葛藤もあったでしょうが、それらを含め、生活のすべてをスケート中心で考えてきたことに、ただ脱帽です。彼女の競技生活からは学ばせてもらうことばかりでした。姉としても、ファンの1人としても、彼女の選手としての生活に心からお疲れさま、そして本当に多くの感動をありがとう」とツイッターでコメントを出しました。