被災地の沿岸部では、今も行方がわからない人の捜索が行われています。警察によりますと、東日本大震災で福島県では1614人が犠牲になり、今も196人の行方がわかっていません。
この春、避難指示の一部が解除された浪江町でも31人の行方がわかっておらず、11日は警察官と消防隊員およそ60人が捜索に当たりました。
はじめに、警察官らは浪江町内で最も被害が大きかった請戸地区の共同墓地にある慰霊碑で犠牲者に祈りをささげました。そして、津波のがれきが多く集積している海岸から2キロほどの場所で、重機で掘り起こした土をくわなどで砕きながら行方不明者の手がかりを探していました。
土の中からは、衣類や筆箱などの生活用品のほか、写真やアルバムも見つかっていました。
皇宮警察から出向している災害対策課の嶋根悠介巡査部長は「震災から6年半がたっても行方不明者の家族には心の平穏が訪れていないと思うので、手がかりが見つかるよう一生懸命、捜索に当たりたい」と話していました。
行方不明者捜索 福島 浪江町
警察によりますと、東日本大震災で福島県では1614人が犠牲になり、今も196人の行方がわかっていません。
この春、避難指示の一部が解除された浪江町でも31人の行方がわかっておらず、11日は警察官と消防隊員およそ60人が捜索に当たりました。
はじめに、警察官らは浪江町内で最も被害が大きかった請戸地区の共同墓地にある慰霊碑で犠牲者に祈りをささげました。そして、津波のがれきが多く集積している海岸から2キロほどの場所で、重機で掘り起こした土をくわなどで砕きながら行方不明者の手がかりを探していました。
土の中からは、衣類や筆箱などの生活用品のほか、写真やアルバムも見つかっていました。
皇宮警察から出向している災害対策課の嶋根悠介巡査部長は「震災から6年半がたっても行方不明者の家族には心の平穏が訪れていないと思うので、手がかりが見つかるよう一生懸命、捜索に当たりたい」と話していました。
母亡くした男性が墓参り 岩手 大槌町
11日、震災で大きな被害を受けた岩手県大槌町では、津波で母親を亡くした男性が墓参りに訪れました。
大槌町の仮設住宅に住む三浦寧史さん(66)は、震災の津波で母親の勝さん(当時80)を亡くしました。三浦さんは、かつて自宅のあった安渡地区にある墓地を訪れ、墓に花をたむけ、静かに手を合わせていました。
震災の日、三浦さんと勝さんは、大きな揺れのあと、自宅近くの高台に避難しましたが、勝さんは飼っていた猫を気にしたのかいつの間にか自宅に戻り、家ごと津波に流されその後、遺体で見つかったということです。
三浦さんは「母を助けられなかったことを今も後悔しています。忘れることは出来ません」と話していました。大槌町では先月末の時点で、「震災関連死」を含めて854人が亡くなり、今も422人の行方が分かっていません。
亡き娘に祈り 宮城 山元町
37人が犠牲になった宮城県山元町にある自動車学校跡地の慰霊碑では11日、犠牲になった娘に飲み物などを供える夫婦の姿が見られました。
宮城県山元町の常磐自動車学校では、震災の津波で教習生や従業員など37人が犠牲になりました。大久保三夫さん(64)と恵子さん(59)夫婦の娘、真希さん(当時27)は、震災当時自動車学校でアルバイトをしていて、津波に流されいまも行方が分かっていません。
跡地の慰霊碑は夫婦が娘が最後にいた場所を忘れて欲しくないと自動車学校に設置を訴え、ことし2月に建てられたもので、2人は月命日には欠かさず訪れています。
11日も慰霊碑に花を手向けたあと真希さんが好きだった缶コーヒーを供え静かに手を合わせました。そして2人も同じ缶コーヒーを飲みながら慰霊碑に向かって「帰っておいでよ」などと声をかけていました。
大久保三夫さんは「娘も慰霊碑ができたことを喜んでくれていると思う。6年半がたった今も娘がまだここにいるような気がしています」と話していました。
高校生が母の墓で祈り 宮城 南三陸町
宮城県南三陸町では、母親を失った高校生が登校前に墓を訪れ祈りをささげました。
南三陸町歌津地区で暮らす高校3年生、岩石桂惟さん(18)は、震災の津波で母親の和江さん(47)を亡くしました。町内の介護施設で働いていた和江さんは利用者たちを避難させようと誘導していたときに津波に襲われ、亡くなりました。
震災の発生から6年半の月命日となる11日、岩石さんは高校に登校する前に和江さんの墓を訪れました。岩石さんは将来、観光業界で働くため短期大学への進学を目指していて、11日朝は墓の前で手をあわせながら、来月に控えた面接試験の準備の状況などについて報告していました。
岩石さんは「ここは進路のことや悩みなどお母さんに何でも相談できる場所です。私が決めたことはいつも応援してくれていたので受験も黙って背中を押してくれているような気がします」と話していました。