東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさいろくねんはん 不明ふめいしゃ捜索そうさく 各地かくちいの

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Sep 11, 2017 12:09
Furigana
東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさい発生はっせいからいちいちにちろくねんはんになりました。「関連かんれん」をふく震災しんさいによる死者ししゃ行方ゆくえ不明ふめいしゃまんぜろぜろぜろにんえています。

被災ひさい沿岸えんがんでは、いま行方ゆくえがわからないひと捜索そうさくおこなわれています。警察けいさつによりますと、東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさい福島ふくしまけんではいちろくいちよんにん犠牲ぎせいになり、いまいちきゅうろくにん行方ゆくえがわかっていません。

このはる避難ひなん指示しじ一部いちぶ解除かいじょされた浪江なみえまちでもさんいちにん行方ゆくえがわかっておらず、いちいちにち警察官けいさつかん消防しょうぼう隊員たいいんおよそろくぜろにん捜索そうさくたりました。

はじめに、警察官けいさつかんらは浪江なみえまちないもっと被害ひがいおおきかった請戸うけど地区ちく共同きょうどう墓地ぼちにある慰霊いれい犠牲ぎせいしゃいのりをささげました。そして、津波つなみのがれきがおお集積しゅうせきしている海岸かいがんからキロほどの場所ばしょで、重機じゅうき掘り起ほりおこしたをくわなどでくだきながら行方ゆくえ不明ふめいしゃがかりをさがしていました。

なかからは、衣類いるい筆箱ふでばこなどの生活せいかつ用品ようひんのほか、写真しゃしんやアルバムもつかっていました。

皇宮警察こうぐうけいさつから出向しゅっこうしている災害さいがい対策たいさくしまゆうかい巡査じゅんさ部長ぶちょうは「震災しんさいからろくねんはんがたっても行方ゆくえ不明ふめいしゃ家族かぞくにはこころ平穏へいおんおとずれていないとおもうので、がかりがつかるよう一生懸命いっしょうけんめい捜索そうさくたりたい」とはなしていました。

行方ゆくえ不明ふめいしゃ捜索そうさく 福島ふくしま 浪江なみえまち

警察けいさつによりますと、東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさい福島ふくしまけんではいちろくいちよんにん犠牲ぎせいになり、いまいちきゅうろくにん行方ゆくえがわかっていません。

このはる避難ひなん指示しじ一部いちぶ解除かいじょされた浪江なみえまちでもさんいちにん行方ゆくえがわかっておらず、いちいちにち警察官けいさつかん消防しょうぼう隊員たいいんおよそろくぜろにん捜索そうさくたりました。

はじめに、警察官けいさつかんらは浪江なみえまちないもっと被害ひがいおおきかった請戸うけど地区ちく共同きょうどう墓地ぼちにある慰霊いれい犠牲ぎせいしゃいのりをささげました。そして、津波つなみのがれきがおお集積しゅうせきしている海岸かいがんからキロほどの場所ばしょで、重機じゅうき掘り起ほりおこしたをくわなどでくだきながら行方ゆくえ不明ふめいしゃがかりをさがしていました。

なかからは、衣類いるい筆箱ふでばこなどの生活せいかつ用品ようひんのほか、写真しゃしんやアルバムもつかっていました。

皇宮警察こうぐうけいさつから出向しゅっこうしている災害さいがい対策たいさくしまゆうかい巡査じゅんさ部長ぶちょうは「震災しんさいからろくねんはんがたっても行方ゆくえ不明ふめいしゃ家族かぞくにはこころ平穏へいおんおとずれていないとおもうので、がかりがつかるよう一生懸命いっしょうけんめい捜索そうさくたりたい」とはなしていました。

ははくした男性だんせい墓参はかまい岩手いわて 大槌おおつちまち 

いちいちにち震災しんさいおおきな被害ひがいけた岩手いわてけん大槌おおつちまちでは、津波つなみ母親ははおやくした男性だんせい墓参はかまいりにおとずれました。

大槌おおつちまち仮設かせつ住宅じゅうたく三浦みうらやすしさんろくろく)は、震災しんさい津波つなみ母親ははおやかちさん(当時とうじはちぜろ)をくしました。三浦みうらさんは、かつて自宅じたくのあった安渡あんど地区ちくにある墓地ぼちおとずれ、はかはなをたむけ、しずかにわせていました。

震災しんさい三浦みうらさんとまさるさんは、おおきなれのあと、自宅じたくちかくの高台たかだい避難ひなんしましたが、かつさんはっていたねこにしたのかいつの間いつのまにか自宅じたくもどり、いえごと津波つなみながされその後そのご遺体いたいつかったということです。

三浦みうらさんは「ははたすけられなかったことをいま後悔こうかいしています。わすれることは出来できません」とはなしていました。大槌おおつちまちでは先月せんげつまつ時点じてんで、「震災しんさい関連かんれん」をふくめてはちよんにんくなり、いまよんにん行方ゆくえかっていません。

むすめいの宮城みやぎ 山元やまもとまち

さんななにん犠牲ぎせいになった宮城みやぎけん山元やまもとまちにある自動車じどうしゃ学校がっこう跡地あとち慰霊いれいではいちいちにち犠牲ぎせいになったむすめ飲み物のみものなどをそなえる夫婦ふうふ姿すがたられました。

宮城みやぎけん山元やまもとまち常磐ときわ自動車じどうしゃ学校がっこうでは、震災しんさい津波つなみ教習きょうしゅうせい従業じゅうぎょういんなどさんななにん犠牲ぎせいになりました。大久保おおくぼ三夫みつおさん(ろくよん)と恵子けいこさん(きゅう夫婦ふうふむすめ真希まきさん(当時とうじなな)は、震災しんさい当時とうじ自動車じどうしゃ学校がっこうでアルバイトをしていて、津波つなみながされいまも行方ゆくえかっていません。

跡地あとち慰霊いれい夫婦ふうふむすめ最後さいごにいた場所ばしょわすれてしくないと自動車じどうしゃ学校がっこう設置せっちうったえ、ことし2月にがつてられたもので、にんつき命日めいにちにはかさずおとずれています。

いちいちにち慰霊いれいはな手向たむけたあと真希まきさんがきだったかんコーヒーをそなしずかにわせました。そしてにんおなかんコーヒーをみながら慰霊いれいかって「かえっておいでよ」などとこえをかけていました。

大久保おおくぼ三夫みつおさんは「むすめ慰霊いれいができたことをよろこんでくれているとおもう。ろくねんはんたった今たったいまむすめがまだここにいるようながしています」とはなしていました。

高校生こうこうせいはははかいの宮城みやぎ みなみ三陸さんりくまち

宮城みやぎけんみなみ三陸さんりくまちでは、母親ははおやうしなった高校生こうこうせい登校とうこうまえはかおとずいのりをささげました。

みなみ三陸さんりくまち歌津うたつ地区ちくらす高校こうこうさん年生ねんせい岩石がんせきかつら惟さん(いちはち)は、震災しんさい津波つなみ母親ははおや和江かずえさん(よんなな)をくしました。町内ちょうない介護かいご施設しせつはたらいていた和江かずえさんは利用りようしゃたちを避難ひなんさせようと誘導ゆうどうしていたときに津波つなみおそわれ、くなりました。

震災しんさい発生はっせいからろくねんはんつき命日めいにちとなるいちいちにち岩石がんせきさんは高校こうこう登校とうこうするまえ和江かずえさんのはかおとずれました。岩石がんせきさんは将来しょうらい観光かんこう業界ぎょうかいはたらくため短期たんき大学だいがくへの進学しんがく目指めざしていて、いちいちにちあさはかまえをあわせながら、来月らいげつひかえた面接めんせつ試験しけん準備じゅんび状況じょうきょうなどについて報告ほうこくしていました。

岩石がんせきさんは「ここは進路しんろのことやなやみなどお母おかあさんになにでも相談そうだんできる場所ばしょです。わたしめたことはいつも応援おうえんしてくれていたので受験じゅけんだまって背中せなかしてくれているようながします」とはなしていました。

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