本能ほんのうてらへん室町むろまち幕府ばくふ再興さいこう目的もくてき光秀みつひで直筆じきひつ書状しょじょう確認かくにん

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Sep 12, 2017 03:09
Furigana
戦国せんごく武将ぶしょう明智あけち光秀みつひで本能ほんのうてらへんこしたのは室町むろまち幕府ばくふ再興さいこう目的もくてきだったとする研究けんきゅう成果せいかを、あらたに確認かくにんされた光秀みつひで直筆じきひつ書状しょじょうもと三重みえ大学だいがく研究けんきゅうしゃがまとめ、光秀みつひで主君しゅくん織田おだ信長のぶながった動機どうきをめぐる研究けんきゅう進展しんてん期待きたいされます。この書状しょじょう光秀みつひでいま和歌山わかやま付近ふきん織田おだ信長のぶなが抵抗ていこうしていた土橋どばし重治しげはるという人物じんぶつてたもので、岐阜ぎふけん美濃みの加茂かも博物館はくぶつかん寄贈きぞうされていました。

これまでうつしだけがのこされていましたが、三重みえ大学だいがく教育きょういく学部がくぶ藤田ふじた達生たつお教授きょうじゅ調しらべたところ、筆跡ひっせきなどから光秀みつひで直筆じきひつ原本げんぽん確認かくにんできたということです。

書状しょじょうは「六月ろくがつじゅうにち」の日付ひづけがあり、くらいたかひとという意味いみの「上意じょうい」という言葉ことば使つかって、その人物じんぶつが「入洛にゅうらく」、つまり京都きょうとることになるとつたえています。

藤田ふじた教授きょうじゅによりますと、日付ひづけ本能ほんのうてらへんいちぜろにちにあたり、信長のぶながによって追放ついほうされていた室町むろまち幕府ばくふ将軍しょうぐん足利あしかが義昭よしあき京都きょうともどってることを意味いみしているということです。

藤田ふじた教授きょうじゅかれた日付ひづけ内容ないようから、光秀みつひで室町むろまち幕府ばくふ再興さいこうさせるために本能ほんのうてらへんこし、主君しゅくん信長のぶながったのではないかと指摘してきしています。

三重みえ大学だいがく藤田ふじた教授きょうじゅは「信長のぶながわるくにづくりということで、室町むろまち幕府ばくふ再興さいこうするのがひとつの選択肢せんたくしだったことがわかる。光秀みつひで突発とっぱつてき謀反むほんこしたという人物じんぶつろん見直みなおして、もういちかいおおきな歴史れきし枠組わくぐみをかんがえるような議論ぎろんこることを期待きたいしたい」とはなしています。

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