ふだんはリビングに
飾って
ある滋さんの
写真とともに
会見に
臨んだ
早紀江さんは「
今も
毎朝、
写真の
前に
温かいお茶を
置き、
滋さんに
語りかけている」とした
上で「『
息子たちが
頑張ってくれているので、
必ず何かが
出てくるのではないかと
期待しながら
私も
頑張ってますよ』と、ことばをかけています」と
話しました。
滋さんが亡くなった年齢と同じ、87歳になった早紀江さんは、ことし体調を崩して入院し初めて死を意識したことを明かし「年を重ねると、病気が出たり亡くなったりするのは当たり前のことです。だから『早く解決してください』と何十年も言い続けてきたんです。拉致という理不尽なことが行われているのに、どうして日本政府はもっと強く出て行かないのでしょうか」と訴えました。
1977年、中学1年生の時に北朝鮮に拉致された娘のめぐみさんは、依然安否は分からないままで、ことし11月で拉致から46年が経過します。
早紀江さんは「めぐみちゃんやほかの拉致被害者みんなに帰って来てもらわないといけません。岸田総理大臣には、キム・ジョンウン(金正恩)総書記の心に伝わるような言い方で『お互いが平和になるよう話し合いをしませんか』とメッセージを何度も出していただきたい。日本と北朝鮮が交渉をしないかぎり、お互いが目を見て話をしないかぎり、本当の心は分からないので、ぜひ早くしてほしい」と話し、日朝首脳会談の早期実現を求めました。