菅官房長官は9日の記者会見で「翁長知事とは政府と立場が異なる面もあったが、大学の同窓ということもあり、2人になると沖縄の発展について話し合いをよく行った。現場を1つ1つたたき上げで上がってきた人なので、非常に信念の強い方だった」と述べました。
そのうえで菅官房長官は「お会いする予定が急きょ取りやめになり、心配していた。突然の訃報に大変驚いており、謹んでお悔やみを申し上げたい」と述べ、哀悼の意を示しました。
一方、普天間基地の辺野古への移設について、菅官房長官は「わが国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増す中において、日米同盟の抑止力の維持や普天間飛行場の危険除去を考えた時に唯一の解決策であるという考えに変わりはない。基地負担の軽減を1つ1つ目に見える形で実現していきたい」と述べ、移設を推進していくとともに、基地負担の軽減に引き続き取り組む考えを強調しました。
また、菅官房長官は、政府が今月17日にも行うとしている埋め立て予定地への土砂の投入について「今後のことについては、予断を持ってコメントすることは控えたい」と述べました。
沖縄県庁で半旗
翁長知事が亡くなったことを受けて、沖縄県庁では、9日朝から弔意を表す半旗が掲げられています。
告別式は13日に
沖縄県の翁長知事が8日死去したことを受けて、沖縄県は翁長知事の通夜が10日午後6時から、告別式が13日午後3時から、いずれも那覇市松山の大典寺で行われると発表しました。
那覇市民は
那覇市では、翁長知事の死を悼む声が聞かれました。
60代の女性は「残念で悲しいです。基地問題に全力で頑張ってくれたことに感謝しています」と話していました。
50代の女性は「翁長知事は沖縄を大事にしていた方なので、今後、かなりの波乱と影響があると思います。基地問題のさなかなので今後どういう結論になるのか心配です」と話していました。
また、50代の男性は「非常に残念な思いです。これから沖縄が大事な場面に向かうなかで将来が心配です」と話していました。
自民 竹下総務会長「県知事選挙をしっかり戦っていく」
自民党の竹下総務会長は、長野市で開いた派閥の会合で「今は立場を異にしているが、一緒に選挙を戦った同志であり、心から哀悼の意を表したい。沖縄はいま、すばらしい経済発展を遂げつつあり、さまざまな変化が出ている。県知事選挙をこれからしっかり戦っていかなければならない」と述べました。
自由 玉城幹事長「意志を引き継ぐ」
自由党の玉城幹事長は、那覇市にある翁長知事の自宅を弔問に訪れたあと、記者団に対し、「非常に残念でなりません。県民のために命をかけて最後までやり通すという意志は私たちも引き継いでいかなければならない」と述べました。
辺野古反対派も悼む声
アメリカ軍普天間基地の移設先の沖縄県名護市辺野古では、移設に反対する人たちが、アメリカ軍基地キャンプシュワブのゲート前で抗議活動を続けています。
名護市の70代の女性は「毎日ここで座り込みをしていますが、翁長知事が亡くなり、心の羅針盤を失ったようで悲しい。新たに基地を建設させないという知事の遺志を継いで頑張りたい」と話してました。
また、うるま市の60代の男性は「次の知事選挙にも出ると思っていたので、亡くなったと聞いてびっくりした。職務代理者の副知事は、埋め立て承認の撤回に向けた手続きを進めてほしい。後継者にふさわしい人が出てきた際にはしっかり支えていきたい」と話していました。