水俣病は、1956
年5
月1
日、
水俣市の
医師が、
突然歩けなく
なるなどの
症状が
出た
姉妹の
入院を
保健所に
届け出たことが
公式な
確認とされ、1
日で65
年になりました。
水俣市などが主催する慰霊式は新型コロナウイルスの影響で去年に続いて中止となりましたが、患者や遺族でつくる団体が規模を縮小して1日、慰霊祭を行い、参列したおよそ40人が水俣病で犠牲になった命に祈りをささげました。
水俣病をめぐっては、いまも熊本県と鹿児島県の合わせて1400人以上が患者の認定を求めて審査結果を待っているほか、国や原因企業・チッソなどに損害賠償などを求める裁判を続けている人も1600人以上いて、解決が見通せない状況が続いています。
公式確認の年に生まれた胎児性患者の坂本しのぶさんは「だんだん症状が悪化し、歩けなくなるなど、体が苦しくなってきています。65年たってもチッソが憎いですし、国や県は、いまも残る問題にしっかり向き合うべきだと思います」と話していました。
遺族「被害者を思って対応を」
患者や
遺族でつくる
団体、
水俣病互助会の
会長で、
娘を
水俣病で
亡くした
上村好男さんは「
あっという間の65
年だったと
思います。
娘を
失った
悲しみは
時間がたっても
消えませんし、
今でも夢に
見ます。
水俣病の
現状について、
健康調査がいまだ
実施されない
など、
国などは
問題から
目を
背けていると
思うので、
きちんと被害者を
思って
対応をしてほしい」と
話していました。
また、患者の認定などを求めて14年間、裁判を続けている佐藤英樹さんは「水俣病は『公害の原点』と言われながらも、65年がたっても、被害者が裁判を続けています。怒りを感じますし、認定の問題、裁判の問題が解決しないかぎり、水俣病は終わらないと思います」と話していました。