イギリスのメディア各社は投票の終了と同時に、出口調査に基づく各党の獲得議席の予測を伝えました。
公共放送BBCは議会下院の650議席のうち、最大野党・労働党が410議席を獲得する見通しだとして「労働党の圧倒的な勝利になる」と伝えています。
労働党は、過半数の326議席を大きく上回り、選挙前に比べ2倍近くに増えるという予測です。
一方、スナク首相率いる与党・保守党は131議席にとどまり、選挙前から大幅に減らすとしています。
開票作業はイギリス各地で始まっていて、順調に進めば日本時間の午後には終わる見通しです。
労働党の議席数が過半数の326議席に到達した時点で14年ぶりの政権交代と、スターマー党首が次の首相に就任することが決まります。
今回の選挙戦ではイギリスの経済や公的な医療サービス、移民問題などが争点となりましたが、国民の多くの生活実感がよくなっていないことや、相次ぐ政権の不祥事に対する不満などから保守党の支持率は低迷し、有権者は「変革」を選んだ形となりました。
BBC “あすの昼までに2年足らずで4人目の首相が誕生することに”
公共放送BBCは「労働党は劇的な勝利が目前だ。あすの昼までには2年足らずで4人目の首相が誕生することになりそうだ」と伝えています。
その上で「新政権は、生活費や財政、税金といった前任者が苦しめられた問題に取り組むことになる」と指摘しています。
BBCの前には予測確認しようと大勢の人
ロンドン中心部にある公共放送BBCの本部の前には建物に映し出される獲得議席の予測を確認しようと大勢の人が集まりました。
そして、予測が発表される現地時間の4日午後10時、日本時間のけさ午前6時の直前にはカウントダウンが始まり、大きな歓声が上がりました。
多くが最大野党の労働党を支持していて、なかには仲間どうしで「保守党は退場だ。保守党は退場だ」と歌い喜ぶ人たちの姿もみられました。
集まった人たちからは「イギリスにとって歴史的な日だ。保守党政権の終わりで、労働党の今後の健闘を祈りたい」とか「保守党政権では政治家のスキャンダルが相次いだので、政治の安定が必要だ。労働党がそれをもたらしてくれると期待している」といった声が聞かれました。
労働党とは
労働党は1900年、イギリスで階級社会が色濃く残る中、労働者を守る立場を掲げて創設されました。
そして、1924年に初めて政権の座につくなど、保守党とともに2大政党の一角を担ってきました。
第2次世界大戦後、「ゆりかごから墓場まで」と形容される手厚い社会保障制度を築きましたが、その後、労働組合が繰り返したストライキなどへの批判が高まり党勢は低迷しました。
1997年には、自由主義経済と福祉政策の両立を目指す「ニューレーバー=新しい労働党」を掲げ、中道路線に舵を切った当時のブレア党首が圧倒的な支持を集めて政権に返り咲きます。
10年以上にわたって政権を維持しましたが、2010年に総選挙で敗れてからは党内の路線対立が表面化しました。
2015年には鉄道の再国有化や核兵器の廃絶などを掲げた左派のコービン氏が党首に就任したものの、イギリスのEU離脱をめぐる方針の違いから下院議員の多くが不信任を突きつける事態にまで発展しました。
そして、EU離脱が最大の争点となった2019年の総選挙で大敗した責任をとってコービン党首が辞任したあと、弁護士出身のスターマー氏が党首に就任し、中道路線への回帰を図ってきました。
労働党スターマー党首とは
労働党のキア・スターマー党首はイギリス南部サリー州出身の61歳です。
工具職人の父親と看護師の母親の間に生まれ、姉が1人、下に双子のきょうだいがいます。
両親は労働党の支持者で、名前の「キア」は党の創設者の1人で、初代党首を務めたキア・ハーディにちなんで付けられたとも報じられています。
母親は難病でしたが、スターマー党首は「母の勇気と生きようとする強い意志に大きな影響を受けるとともに、公的な医療サービスへの感謝を抱くようになった」と振り返ります。
スターマー党首は一家の中で初めて大学に進み、リーズ大学とオックスフォード大学の大学院で法律を学んだあと、主に人権問題を扱う法廷弁護士として国や大企業を相手取った訴訟で存在感を示しました。
2008年に検察局の長官に就任し、政治への信頼を揺るがした議員の不正経理問題で与野党の複数の議員を起訴するなど、刑事司法への貢献が評価され爵位を授けられました。
そして、2015年の総選挙に労働党の候補者としてロンドン中心部の選挙区から立候補し初当選すると、当時のコービン党首に指名され「影の内閣」でEU離脱担当相などを務めました。
さらに、2019年の総選挙で大敗した責任をとって辞任したコービン氏の後任として2020年に党首となり、堅実な運営で党の立て直しを進めるとともに、新型コロナ禍におけるジョンソン政権の不祥事や市場の混乱を招いたトラス政権の経済政策などを批判してきました。
私生活では、弁護士時代に知り合い公的な医療サービスに勤める妻との間に2人の子どもがいます。
趣味はサッカーで、現在も週末に仲間とプレーしているほか、イングランドプレミアリーグで冨安健洋選手が所属するアーセナルの熱烈なサポーターとして知られています。
過去の政権交代
イギリスでは第2次世界大戦後、いずれも2大政党の保守党と労働党の間で8回の政権交代が行われました。
(1)1回目は1945年でした。ナチス・ドイツが降伏した2か月後、10年ぶりに行われた総選挙で、それまで戦時内閣を率いた保守党のチャーチル首相がアトリー党首率いる労働党に敗れました。
(2)アトリー首相は「ゆりかごから墓場まで」と形容されるイギリスの手厚い社会保障制度を築きましたが、1951年、76歳のチャーチル前首相が政権を奪い返しました。
(3)1964年には、保守党のダグラスヒューム政権に代わって労働党のウィルソン政権が発足しました。
(4・5)ウィルソン首相は1970年、ヒース党首率いる保守党に政権を奪われましたが、続く1974年の総選挙で第1党となり、第3党の自由党の協力を得て首相に返り咲きました。
(6)1979年には、ストライキやインフレによる社会不安が増す中、ウィルソン氏のあとを継いだ労働党のキャラハン首相に対する不信任投票が可決し、総選挙ではサッチャー党首率いる保守党が大勝し、イギリス初の女性の首相が誕生しました。
(7)保守党はサッチャー首相のおよそ12年にわたる長期政権のあとメージャー首相が就任しましたが、1997年、右派でも左派でもない「第三の道」を掲げたブレア党首のもと、労働党が18年ぶりの政権交代を果たしました。
(8)そして2010年の総選挙ではキャメロン党首率いる保守党がブラウン首相の労働党に勝ち、第3党の自由民主党との連立政権を発足させました。
今回、政権交代が行われれば、14年ぶりで、戦後9回目となります。