その名も「運動会の歌」。
一体どんな歌なのか。
調べてみると地域の歴史と子どもたちへの思いが詰まっていました。
(和歌山放送局 記者 眞野隼伸 大阪放送局 ディレクター 高屋敷仁)
みんな知ってるの…?
こちらが「運動会の歌」の歌詞。
(※画像をクリックすると歌が流れます)
「明日の日本を せおうのだ」など印象的な歌詞が目立ちますが、愛知県出身の私は一度も聞いたことがありません。
本当に和歌山の人たちは知っているものなのか?
和歌山市内の人に歌を聞いてもらうと…。
「分かりますよ。聞くだけで運動会のうれしかったり、悔しかったりした思い出がよみがえります」
「前奏を聞いただけで分かります。大学で県外に出たときに運動会の歌の話が全くかみ合わなくて驚きました」
全国で歌われていると歌だと思っている人も多くいました。
“歌”誕生の背景には
67年前に作られたという「運動会の歌」。
どのようにして生まれたのか。
和歌山県の教育史に詳しい馬場一博さんに話を聞きました。
そこで見えてきたのは、和歌山を襲った悲惨な災害との関係でした。
昭和28年に起きた紀州大水害。
県内では土砂崩れなどで1000人以上が亡くなりました。
馬場さんによりますと、水害のあと被災地の小学校には、県内各地から教員が派遣され子どもたちと向き合ったといいます。
そして水害から3年後。
和歌山市教育委員会が作ったのが「運動会の歌」です。
当時の人々にとって、運動会は地域一丸となって盛り上がる一大イベント。
子どもたちに“災害に負けず元気になってほしい”というメッセージを届ける手段として、運動会の歌が作られたのではないかというのです。
馬場一博さん
「水害のあと、被害がなかった地域の学校の先生方も、被災地の学校の授業に行っていました。まだ十分に復興できていない地域の支援になればという思いがあったと思います。運動会は地域の全ての人にとっての娯楽であり、年に1度みんなが歌うものだった。保護者も歌える、子どもたちも歌える、みんな知っている歌という中で、この70年間、歌い継がれてきたのだと思う」
歌詞に込められた希望
この歌を作詞したのは、和歌山市の教員だった伊藤孝文さん。
自らも同僚を水害で亡くしていました。
どんな思いで歌詞を書いたのか。
伊藤さんは13年前に88歳で亡くなっていましたが、娘の河合江利子さんに話を聞くことができました。
若いころ戦地に赴き、戦後は激変する社会を教育現場から目の当たりにしてきた伊藤さん。
「子どもたちに明るい未来への希望を託したい」
江利子さんは、歌にはそうした体験が反映されているのではないかと考えています。
作詞した伊藤孝文さんの娘 河合江利子さん
「終戦を迎えて本当にもう教育がガラッと変わったということは父からよく聞いておりましたので、教育の未来にすごく希望を持っていたのではないでしょうか。一番印象に残っているのは、“明日の日本をせおうのだ”という歌詞です。戦前の教育から戦後の民主主義、自由な時代になって、子どもたちに明るい未来に自由に生きていってほしいみたいな、そういう願いがあったと思っております」
伊藤さんを知る後輩は
「明日への希望」を歌に込めた伊藤さん。
その伊藤さんを慕い続けてきた後輩の教員がいまも教壇に立っています。
木村安男さん(69)です。
先輩の伊藤さんの授業は、子どもをひきつける語り口で地元の教育界で広く知られていました。
木村さんは、憧れの先輩である伊藤さんの授業を何度も見学したといいます。
木村安男さん
「子どもたちに寄り添うような優しい語り口が印象的でした。伊藤先生みたいな語りができるような教師になれたらと思っていましたけど、伊藤先生の人柄が歌詞のなかに表れて、優しさとか包み込む温かさとかが込められているように感じます」
受け継がれる思い
和歌山で愛されてきた運動会の歌。
実は、いま、危機に直面しています。
背景にあったのは新型コロナ。
運動会のプログラムが見直され、多くの学校で短縮スケジュールとなりました。
和歌山市内の小学校では、コロナ前は36校で歌われていましたが、ことしは14校。
半分以下となりました。
しかし、感染状況が落ち着いてきたため、4年ぶりに歌うことになった学校もあります。
運動会の前には、歌の練習が行われました。
子どもたちに教えるのは、歌の由来をよく知る木村さんです。
木村さんは歌に込められた伊藤さんの思いを子どもたちに丁寧に説明しました。
木村安男さん
「“希望あかるく手をくんで”、“希望”、“あすの日本をせおうのだ”ってありますね。これから和歌山を日本を元気な国、明るい国にしていってくださいね。そういう願いを込めてこの運動会の歌ができた」
女子児童
「雰囲気も明るいし、由来を聞いて楽しく歌いたいと思った」
男子児童
「“明日の日本をせおうのだ”という歌詞が特にいちばん好きです」
木村安男さん
「やっぱりこの曲ができたときの願いが伝わっているんだと思います。自分の身近のことだけじゃなくて、大きな視野をもって歌える曲だってこと。決して歌詞の中身がふるぼけたりということがないそういう歌詞なんだと思います」
67年前、ひとりの教員が「運動会の歌」に込めた「明日への希望」。
いまも和歌山で色あせることなく、歌い継がれています。
※10/5「ギュギュっと和歌山」10/25「ほっと関西」 11/9「おはよう日本」で放送済み