保利氏は昭和54年の衆議院選挙に自民党から立候補して初当選し、連続12回、当選しました。
文部大臣や自治大臣、党の国会対策委員長などを務めましたが、平成17年に郵政民営化に反対して離党しました。
その後復党し、党の政務調査会長などを歴任しました。
そして平成26年の衆議院選挙に立候補せず政界を引退していました。
関係者によりますと、保利氏は今月4日に川崎市の病院で亡くなったということです。
保利氏は昭和54年の衆議院選挙に自民党から立候補して初当選し、連続12回、当選しました。
文部大臣や自治大臣、党の国会対策委員長などを務めましたが、平成17年に郵政民営化に反対して離党しました。
その後復党し、党の政務調査会長などを歴任しました。
そして平成26年の衆議院選挙に立候補せず政界を引退していました。
関係者によりますと、保利氏は今月4日に川崎市の病院で亡くなったということです。