大林宣彦さんは広島県尾道市出身で、大学を中退したのち、昭和38年に画家の藤野一友さんと発表した初の16ミリ作品「喰べた人」でベルギー国際実験映画祭の審査員特別賞を受賞しました。
3000本を超えるコマーシャルを手がけて新たな映像表現に挑戦し、昭和52年に独特な映像美の映画「HOUSE」で商業映画の監督としてデビューしました。
ふるさとの尾道市で撮影した「転校生」「時をかける少女」それに「さびしんぼう」は「尾道三部作」と呼ばれ、若者たちの情感をみずみずしく描いた作品でロケ地を巡る若者が増えるなど、人気を集めました。
作品の中では若手の俳優を重要な役に抜てきし、小林聡美さんや原田知世さんなどが、一躍、有名になりました。
また、その華麗で独特な映像使いから「映像の魔術師」との異名で知られる一方、映画作りにおいてはスタッフの団結力の強さから「大林組」と呼ばれ、名作を生み出してきました。
平成16年に紫綬褒章、平成21年に旭日小綬章を受章し、去年、文化功労者に選ばれています。
社会派としても知られる大林さんは、作品や講演会で反戦や平和の大切さを訴え続け、特定秘密保護法をめぐって「表現の自由を守り通さなければいけない」などと訴えていました。
平成28年から製作を始めた「花筐/HANAGATAMI」では、撮影開始直後にがんが見つかりましたが、治療を続けながら作品を完成させ、おととし(平成30年)キネマ旬報ベスト・テンの監督賞を受賞した際には「あと30年は映画を作ります」と意欲を見せていました。
その後、広島に原爆が投下されるまでの日本の戦争をテーマに描いた「海辺の映画館ーキネマの玉手箱」が去年秋の東京国際映画祭で公開され、レッドカーペットに登場した大林監督はNHKのインタビューに対し、「皆さんがびっくりするような映画になりました。『これが映画か、映画でこんなことができるのか、すごいな』と驚いてください」と話していました。
映画会社によりますと、大林監督は10日午後7時23分、肺がんのため東京都内の自宅で亡くなったということです。
82歳でした。