信長のぶながかける貴重きちょう資料しりょう義父ぎふ 斎藤さいとう道三どうさん書状しょじょう発見はっけん
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Apr 24, 2024 05:04
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戦国せんごく武将ぶしょう織田おだ信長のぶなが義理ぎりちちにあたる斎藤さいとう道三どうさんが、信長のぶながについて「若造わかぞういたらないてんもあるが末永すえながくつきあってほしい」と近隣きんりん領主りょうしゅお願おねがした書状しょじょうつかりました。専門せんもんは「道三どうさん信長のぶながのことをにかけているとわかる貴重きちょう資料しりょうだ」と指摘してきしています。

書状しょじょう今月こんげつ水戸みと市立しりつ博物館はくぶつかん個人こじんから寄託きたくされたもので、東京とうきょう大学だいがく史料しりょう編纂へんさんしょ村井むらい祐樹ゆうき じゅん教授きょうじゅ調査ちょうさしました。

それによりますと、この書状しょじょういま岐阜ぎふけん美濃みの地方ちほうおさめていた戦国せんごく武将ぶしょう斎藤さいとう道三どうさん近隣きんりん地域ちいき領主りょうしゅてたもので、その内容ないよう署名しょめいなどから、1552ねんごろにかれたとられるということです。

道三どうさんは、織田おだ信長のぶなが自分じぶんむすめ濃姫のうひめとつがせています。

書状しょじょうでは、「信長のぶながあなた大変たいへんしたしいということでうれしくおも」としるしたうえで、信長のぶながについて「若造わかぞういたらないてんもあるがご容赦ようしゃいただき末永すえながくつきあってほしい」とつたえています。

信長のぶなが人生じんせい側近そっきんがまとめた文献ぶんけん信長のぶながこう(しんちょうこうき)」ではこの書状しょじょうかれた時期じき道三どうさんわか信長のぶながはじめて面会めんかいし、その奇抜きばつなり言動げんどう周囲しゅういから「うつけしゃ」とばれていた信長のぶなが才能さいのう見抜みぬいたとされています。

村井むらいじゅん教授きょうじゅは「道三どうさん書状しょじょうあまりのこっておらず信長のぶなが言及げんきゅうしていることもめずらしい書状しょじょうには、道三どうさん信長のぶながのことを大事だいじおもにかけていることがはっきりしるされていて『信長のぶながこう』の記述きじゅつ裏付うらづける貴重きちょう資料しりょうだ」とはなしています。

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