ハンガリーで行われたバスケットボール女子のオリンピック世界最終予選。パリへの切符がかかる最後の大会の初戦で世界4位の強豪スペインを相手にスリーポイントシュート6本を決め、日本を勝利に導いたのが、キャプテンの林咲希選手でした。
(スポーツニュース部 記者 西岡美音)
東京大会快挙の立て役者
林選手の最大の持ち味は、スリーポイントシュートです。
注目を集めたのが、東京オリンピックでベスト4進出をかけた、ベルギー戦でした。
日本が2点差を追いかける第4クオーターの残り16秒で、林選手がスリーポイントを決めて逆転勝ち。
チームは勢いに乗ってそのままに決勝まで勝ち進み、史上初の銀メダルを獲得しました。
まさかの低迷…パリへの再出発
ただ、その後の道のりは平たんではありませんでした。
東京オリンピックの1年後に行われたワールドカップでは日本のバスケットボールが研究され、徹底した対策を取られたことで、まさかのグループリーグ敗退に終わりました。
この悔しい結果を受けて、パリオリンピックに向けて再出発した日本代表のキャプテンを任されたのが林選手でした。
自身はけがの影響でワールドカップには出場できませんでしたが、苦戦したチームに向けられた厳しい評価に、キャプテンとしての重圧を感じていたといいます。
林咲希 選手
「銀メダルを取ったのに、結果を出せなかったらどうしようと考えていた。自分が一番責任を持つという気持ちが強かったので、どうにかして結果を出さなきゃいけないというプレッシャーはあった」
救いになった日本代表レジェンドのことば
そんな林選手を救ったのが、ソフトボール女子のエースとして、日本代表を引っ張ってきた上野由岐子投手との出会いでした。
上野投手からのことばが、林選手を変えるきっかけになりました。
「『結構今不安なんですけど、上野さんはそういうときどうしますか』と質問したときに『結局は結果残したらいいんだよ』みたいな感じで、さっと言ってくれたので、そこに集中しようと思った」
林選手はプレッシャーを抱え込むのではなく、周りと積極的にコミュニケーションを取ることで、チームを導くキャプテンを目指すようになりました。
“止められない選手”になるために
さらに、技術面では、プレーの引き出しを増やすことに力を入れています。
所属するWリーグでは今シーズンから新しいチームに移籍し、動きの緩急やハンドリングの練習を積極的に行っています。
得意のスリーポイント以外にもプレーの幅を広げることで、相手が守りにくい選手になることを目指しています。
強豪を相次ぎ撃破 五輪世界最終予選
こうして迎えたオリンピック世界最終予選。初戦のスペイン戦で、林選手は躍動しました。
8本中6本のスリーポイントを決め、成功率は驚異の75%。
チームトップの20得点を挙げ、大事な初戦でチームを勝利に導きました。
「試合前は緊張していて不安もあったが、あいたら打とうと思って試合に入ったら、集中して挑めた。1本目が入ったおかげで2本目も気楽に打てたし、みんなが本当に楽しそうにやっていたので、自分も楽しく40分間バスケをできたと思う」
2戦目でハンガリーに敗れたもの、世界5位の強豪、カナダとの最終戦を制し、日本は3大会連続のオリンピック出場を決めました。
最終戦のあと、ここまでチームを引っ張ってきた林選手の目には涙が浮かんでいました。
「負けることは考えていなかった。ただ、今までの日本のバスケの歴史に泥を塗ってしまうのではと考えてしまう部分もあった。それでも、チームのみんなを信じて戦ったことが勝利につながった」
そしてオリンピック出場を決めたことにほっとするまもなく、すぐに先を見据える姿も印象的でした。
「通用する部分もたくさんあったが、もう一度練習していかなければならない部分も見つかった。1本のシュートが命取りになると感じたので、自分ももっとシュート力をあげないといけない」
東京オリンピックの決勝でアメリカに敗れた悔しさを晴らすために。
林選手はさらなるレベルアップを目指してパリまでの歩みを進めます。
林咲希 選手
「オリンピックの時はもうやるだけ。最高の舞台で最高のプレーをすることに気持ちを入れたいし、かっこよくプレーしたいと思う」
◇◇取材こぼれ話◇◇
真面目な性格が印象的な林選手。
オフの日は、たくさん昼寝をしたり、料理をしたり、K-POPやオーディション番組を見たりと、さまざまな方法でリフレッシュしていることを明かしてくれました。
その一方で、カフェでの取材の際には林選手らしい一面も。
スマートフォンで動画を見る林選手に何を見ているのか尋ねると、Wリーグの次の対戦相手の映像でした。
と笑っていました。
《基礎情報》林咲希 選手
▽生年月日:1995年3月16日生まれ
▽出身:福岡県
▽身長:1メートル73センチ
▽主な実績:東京五輪 銀メダル