大磯町に住む藤原照子さん(当時79歳)が海中から救助されましたが、搬送先の病院で死亡しました。
このおよそ1時間半後の午後7時ごろ照子さんの長男から「父が『母を海に突き落とした』と話している」という内容の通報が警察にあり、藤原宏被告が殺人の疑いで逮捕されました。
事件当時の状況について、被告は裁判で「『長男が海で話があると言っている』とうそを言って港に連れ出した。港の中を車いすを押して2、3周歩いた。岸壁から車いすごと海に落とした」と述べました。
また、被告の証言によりますと、照子さんはこの時「長男はまだ来ないの?」などと繰り返し尋ねたということです。そして突き落とされた瞬間には「いやだ」と大きな声で叫んだということです。
裁判で被告は「心中するつもりだったが、遺書も書いていないし、息子たちに迷惑をかけると思い一緒に飛び込むことができなかった」と述べました。
証言などによりますと、照子さんが脳梗塞で倒れて左半身不随になったのは昭和57年ごろだったということです。 当時、スーパーの従業員だった被告は1か月のうち10日間は出張で家を空けていて、照子さんが倒れたときも不在にしていたということでこの時、医者から「前兆があったはずで気付かなかったあなたが悪い」と言われたといいます。 被告は、このことばについて「『体が続くかぎり、1人で介護する』と決意した。その気持ちが揺らぐことはなかったし、今でも変わりない」と法廷で述べました。 数年後、照子さんの介護を理由に仕事を辞め、融通がきくと考えてコンビニの経営をみずから始めました。昼は経営するコンビニで働き、夜は照子さんの介護をする生活を続けるものの、十数年後に経営が行き詰まりました。 この間、夫婦仲は悪くなかったということで被告は「遠慮もあったのだろうが、不満や要望を言われたことはあまりなく、こちらが困ったことはない。介護が始まってからはケンカをしたこともない」と述べました。 その後、生活費は被告の年金や照子さんの障害者年金で工面するようになりましたが、貯金できるときもあり、2人で年に4回ほど、静岡県伊東市などに旅行していたといいます。車いすのまま入浴できる施設に宿泊した際に照子さんがとても喜んだことも明かされました。 照子さんはデイサービスを利用したりケアマネージャーの支援も受けたりしていたということですが、去年6月ごろに転機が訪れます。照子さんの体の機能が急激に低下してそれまで1人でできていた車いすへの乗り降りが難しくなったということです。 被告の体力も落ち始めたこともあり、このころから被告は照子さんと無理心中することを考え始めるようになります。 被告は法廷で「去年8月ごろから、『2人で逝ったほうが息子たちにとっても楽かな』と考えるようになった」と述べました。 裁判では去年10月に被告が照子さんの首を数秒ほど絞めたことが明かされました。被告は「楽に死ねる1つの方法として確認のために首を絞めてみた。しかし、自分の力では首を絞めても殺せるわけではないとわかり、途中でやめた」と述べました。 こうした事態を知った長男は照子さんと被告を別居させたほうがいいと考えました。そして、ケアマネージャーをまじえて話し合った結果、息子が費用を負担して照子さんは施設に入所することが決まりました。しかし、このことが被告に照子さんの殺害を決意させるきっかけになったとみられています。 被告は事件のいきさつについて「施設に入所することになると、費用などの面で息子に迷惑をかけることになる。事件の何週間も前から『2人で心中しよう』と考えていた」と証言しました。 およそ40年にわたって家事を含めた照子さんの身の回りの世話をほぼ1人で担ってきた被告は「自分は頑固者で、人の意見を聞かない性格で、『誰にも迷惑をかけないで1人で面倒を見る』という意識があった。なぜ息子やケアマネージャーに本音をぶつけて相談しなかったのか」と後悔を口にしました。
判決のあと弁護士は「今後の対応については被告や家族と相談して決めたい」と話していました。
こうした中、判決の後、裁判員や補充裁判員を務めた、男性3人と女性1人の合わせて4人が守秘義務を守りながら記者会見に応じました。 この中で裁判員を務めた50代の男性は「私の親は2人とも健在で今は介護には至っていないが、今後、介護が生じたとき自分はどこまで携わっていけるのかについて、近いうちに考えなければいけないと痛感しました」と話していました。 また、裁判員を務めた83歳の男性は「自分と同じような年齢の被告の事件で、老老介護の問題は制度としてどうにかならなかったのかと感じた」と話していました。 裁判員を務めた30代の男性は「去年まで私の母が祖母を介護していて、自分も実家に帰ったときには介護を手伝いましたが、かなり大変でした。今回の事件は周りの人に頼らずに起きてしまった面があるので、自分は周りの人に相談しながら介護を進めていきたいと考えるようになりました」と話していました。 補充裁判員を務めた女性は「介護の経験はありませんが、今回の裁判を通して、介護は社会のどこにでもある問題だと感じました。共助、公助の社会になることを望みます」と話していました。
また、女性は「今回の事件は自分にも、誰にでも起こりうることです。介護する立場や介護される立場になったときに、独り善がりになったり狭い中にいたりするのではなく、周囲の人たちに『助けてほしい』と発信することが大切だと思った」と話していました。
そしておよそ40年という期間、実質的に1人で介護を続けた被告の状況について「計り知れない苦労があり、過酷だったと思われる」としたうえで、今回の事件の教訓について「現在の高齢者介護の政策は、介護を必要としている本人に対する家事や外出の支援といった『目に見える介護』を中心に展開されている。しかしこれからは、介護を続けている家族に対しても、悩みを聞いたり介護の苦労を分かち合ったりといったサポートも、充実化させていく必要があるのではないか」と話しています。
40年間の介護 被告自身が証言 “1人で面倒を見る”
弁護士「今後の対応は被告や家族と相談」
裁判員などが会見 “介護の問題 痛感”
傍聴人の女性「周囲に『助けて』と発信することが大切」
東洋大 高野教授「介護を続ける家族へのサポートも必要」