宮城県石巻市の杉山歩夢さん(32)にとっては、着の身着のまま、1か月あまりに及ぶ長期避難の突然の始まりでした。
「あの日、医師会館で息子の検診を受ける順番が来て、裸でベッドに乗せた瞬間に地震が起きました。一緒に来ていた母親と弟と車で逃げたんですが、津波で自宅が被災して行き場がなくなってしまい、3日目までは持っていた粉ミルクを薄めて飲ませるしかありませんでした。私の手の中で死なせてしまったらどうしようと不安でしかたがなかったです」
「子どものことで精いっぱいで、自分のことに構う余裕は全くなかった」と振り返りますが、女性として気がかりなこともありました。 杉山さん 「震災の次の日から生理になってしまって。ナプキンを分けてもらったりトイレットペーパーで代用したりして、汚れたらすぐに取り替えるようにしていましたが、漏れてしまって衛生面が気になりました。震災から1週間ほどたって高校の避難所で過ごすようになり、生理用品が手に入るようになったのですが、当時は一か月ぐらい着替えもできませんでした。ぜいたくは言えませんが、そんな状態で生理が来ちゃうと大変でした」
岩手・宮城・福島の沿岸と原発事故による避難指示が出された地域に住む20代から50代の1000人から回答があり、避難所に避難した人は3分の1の334人でした。
▼女性は59%にのぼり、 ▼男性の44%より15ポイント高くなりました。
女性では、 ▼「着替えのスペースが確保されていなかった」が最も多く63%、 ▼「支援物資に必要なものが少なかった」が52%、 ▼「下着を干す場所がなかった」が38%、 ▼「男女別のトイレがなかった」が19%、 ▼「授乳など子育てスペースがなかった」が17%でした。 自由記述で多かったのが生理や着替えに関する不安の声で、「断水で水が流れないトイレは生理中はとても気を使った」とか、「車の中で着替えるしかなかったから丸見えでした」といった回答がありました。 また、「下着を盗まれた」とか、「子どもが0歳でよく泣いていたので周りがいらだったり迷惑がられたりした」といった声もありました。
さらに東日本大震災の被災者から「避難所で赤ちゃんが泣き続けてどなられたりした」という話を聞いて、妊婦や乳幼児がいる家庭専用の避難所も開設することにしています。
「最初の頃は区の女性たちに参加してもらうことに苦労しましたが、被災者の話を聞いて女性の自主防災組織が絶対に必要だと思って取り組みを進めてきました。必要性を理解してもらうまでが大変だと思いますが、今後も活動を続けてより広がっていってほしいです」
▼女性防災士が避難する際に持参すべき品物を説明したり、 ▼地元の消防署の職員が幼い子どもに見立てた人形を使って心臓マッサージの方法を教えたりする時間も設けられました。 子どもが泣いたり、歩き回ったりする場面もありましたが、保護者はだっこしてあやしながら参加していました。
「ふだんと場所が違うので子どもはなかなか眠らなかったですが、やはり一般の避難所だと子どもの泣き声や排せつなどで周りに迷惑をかけることもあるので避難を遠慮するかもしれないと思います。ここは、同じ子ども連れどうしで避難できるので、積極的に利用したいです」
防災とジェンダーの問題に詳しい静岡大学の池田恵子教授は、対策が進んできていると一定の評価をした上で次のように話しています。
「ガイドラインができても、それを実行していくのが男性ばかりだと、やはり女性の視点は漏れていきがちになってしまいます。災害時に大変なのは男性も同じですが、それでも女性に注目すべきだと考えるのは、高齢者や乳幼児、けがをした人のケアをしているのは、女性が多いという現状があるからです。女性がしっかりと声を出していくことによって、家族全員、お母さんもお父さんもおじいちゃんもおばあちゃんも赤ちゃんも、避難生活の中での困難が減っていき、質の高い災害対応ができていくというところにつながっていくと思います」
東日本大震災 その次の日から…
性別による困難や不安「あった」女性の約6割
子どもの泣き声に
震災から12年 女性だけの自主防災組織も
妊婦や子連れの避難はホテルへ ためらわないで
女性だけではない
それは生後4か月の息子の乳幼児健診を受けていた最中に突然、始まりました。12年前、20歳だった女性の体験です。
着の身着のまま