家族3人で献花に訪れた市内の20代の男性は「この地区に住んでいた祖母を津波で亡くしました。この日になると悲しい気持ちになります。時間が経っても気持ちの整理はつきません」と話していました。
市内の磯原町で1人暮らしをしていた平塚幸男さん(当時80)は自宅が津波に流され、死亡しました。11日は弟の信次さん(84)や姉や妹、あわせて5人のきょうだいが市内にある墓地を訪れ、花と線香を供えて静かに手を合わせました。 ことしは十三回忌にあたるため、きょうだいそろって墓参りをすることにしたということで、幸男さんがきょうだい集まって旅行にいくことが好きだったことなど墓の前で思い出ばなしをしていました。信次さんは「きょうだいはみんな80代・90代だから集まれる機会も少ないのでことしはみんなで集まりました。生きている限りは墓参りを続けていきたい」と話していました。
この住宅に住む76歳の女性は「散歩しながらいつもサクラに声をかけていて、きょうは見事に咲いていて感動しました。魚もワカメもとれた地域ですが少しずつ活気が戻ってきていると感じます」と話していました。 この地区の自治会長を務める遠藤重政さんは「不安はあるが、何としてでも復興を遂げたいと思い、植えました。3月の早咲きのサクラを見て震災を忘れず、昔も今もいいところだと感じてもらえるようにしていきたい」と話していました。
この地区で区長を務める橋本和彦さん(75)は、いとこの長男を津波で亡くし、11日朝は震災後に地区に整備された堤防の上から海に向かって祈りをささげていました。橋本さんは「あの日の海は真っ黒で荒れ狂っていましたが、きょうの海はとても穏やかです。住民どうし力を合わせて新たなまちづくりを進め、ようやくここまで再生したということを、亡くなったみなさんに報告したいと思います」と話していました。
いまも家族の行方がわかっていない人たちが訪れ、このうち大船渡市に住む小松紀久代さん(82)は、避難中にはぐれて行方が分からなくなっている夫の久晃さんの情報を求めて訪れたということで、当時の状況などについて警察官に伝えていました。 小松さんは「夫は優しくておおらかで、1度もけんかをしたことがありませんでした。12年たちますが、手を合わせるたびにまだ見つかっていないことがさみしくて悔しいです」と話していました。
企画した前川十之朗さんは「タイルを貼ることを通じて、震災を経験していない子どもたちに、まずは震災のことを知ってもらいたいです。そして、防潮堤を過信せず、避難することの大切さも伝えていきたいです」と話していました。
黄色いハンカチはこの1年間で200枚ほど増え、これまでのものと合わせておよそ900枚になったということで、発起人の加納純一郎さん(72)は「亡くなられた方に私たちが元気で暮らしていることが届けばいいなと思います」と話していました。
消防団のメンバーだった山形さんは、すぐに自宅を飛び出して近くの水門を閉じたあと、町内を回って避難を呼びかけたということです。妻や子ども夫婦たちは高台に避難して無事でしたが、海沿いで民宿を営んでいた姉や親類が犠牲になったということです。 山形さんは「あの日のことは決して忘れません。大きな被害を受けましたが、全国の皆さんから支援を受けたおかげで頑張ってこられました。毎年、この日は感謝の気持ちで迎えています」と話していました。
自宅が全壊し、いまは災害公営住宅に住んでいるという川戸弘秋さん(69)は「田老には津波が数十年おきにやってきます。これからも避難の方法などを頭に入れて生活しなければならないと思います」と話していました。 津波で兄を失ったという地元に住む梶山美喜子さん(78)は「震災発生当時のことを時折思い出すことがあります。最近は昔の田老と比べて、1人暮らしの人が多くなったような気がします」と話していました。
山崎さんは「海を見ると今でも悲しい気持ちになります。それでも、これからも津波は来ると自覚して、思い出して子どもたちに伝えていかなくてはいけないと思います」と話していました。
長安寺は、先行して避難指示の解除を目指す「特定復興再生拠点区域」の中にあり、避難指示は今月31日に解除される見通しですが、現地で寺を再開する見通しはたっていないということです。横山住職は「浪江町津島に戻る雰囲気は出ていますが、遺骨を含めて、まだ帰ることができません。まだまだこれからだと思います」と話していました。
近くに住む菱木姓子さんは「近所の人と一緒に小学校に避難して、津波が襲ってくる様子を屋上から見ていました。底冷えする日で、一晩避難所で過ごし、悪い夢でも見ているのかと思いました。その後、引っ越した家も多く、まちが寂れてしまったように感じています」と話していました。
震災が起きる前に石巻市に住んでいて、今は名取市に住む40代の男性は「石巻にある別の日和山を思い出しながら日の出を見ていました。『生かされている自分が、亡くなった人の分もできることをしていきたい』という思いになりました」と話していました。 また、閖上地区で出会った夫と訪れた仙台市の50代の女性は「震災当時は家がぐちゃぐちゃになり、思い出すとつらい気持ちになります。でも、『忘れたくないし、忘れてはいけない』という思いで、手を合わせに来ました」と話していました。
訓練に参加した83歳の女性は「年々、年を取って高台に避難するのが苦労していますが、命を守るためにもがんばって参加していきたい」と話していました。
橋本さんは震災直後から陸前高田市などで炊き出しなどのボランティアを行い「奇跡の一本松」の保存事業にも携わったということです。橋本さんは「地元の人たちと奇跡の一本松を守ってきたので3月11日は思い入れがあり、毎年訪れています」と話していました。 また、千葉県の今関友太さん(31)は「震災当時、消防士だった私に命と向き合うきっかけを教えてくれたところなのできょう訪れました。ことしから看護師として働くので、命に寄り添いながら仕事をしたい」と話していました。
五十嵐さんは、津波で自宅を失ったあと市内で自宅を再建しましたが、おととし2月と去年3月のいずれも市内で震度6強の揺れを観測した2回の地震で大きく壊れ、別の住まいへの転居を余儀なくされました。 五十嵐さんは「あの日を忘れることなんてできませんが、12年がたってようやく少し受け入れられたような気がします。この経験をしっかり伝えていかなければいけないという気持ちが強くなっています。そのために私は生き残ったのかなと。これからも語り継ぎたいです」と話していました。
公園に設置された銘板には、震災で犠牲になった人のうち家族の同意が得られた1128人の名前が地区ごとに刻まれていて、訪れた人たちは銘板の前で深々と頭を下げるなどして犠牲者に祈りをささげていました。 震災で妻を亡くした気仙沼市の50代の男性は「ことしは13回忌の区切りということで、また気持ちを新たにしてこれから家族全員で頑張っていきたいと思います」と話していました。
東京から父親とともに訪れた11歳の小学生は「ひとつの地震で起きた津波でこんなに大きな被害になったと知って悲しい気持ちになりました」と話していました。
震災前、地区にはおよそ800世帯、2200人が住んでいましたが、津波でおよそ200人が犠牲となり、地区の海沿いは災害危険区域となったため住宅の建築が制限されています。 大学さんは毎月11日の月命日に欠かさず家族との思い出がつまったこの地区に戻り、祈りをささげてきました。11日も大学さんは海から朝日が昇る時間帯に訪れ亡き妻の名前が刻まれた慰霊碑に線香を手向けたあと、鐘を鳴らして亡くなった家族を思い手を合わせていました。
警察庁によりますと、地震や津波の被害などで亡くなった人は1万5900人、行方不明者は2523人となっています。また多くの人が長期間の避難生活を余儀なくされ体調が悪化して死亡するいわゆる「震災関連死」に認定された人は、復興庁と各都県によりますと3792人となり、この1年で福島県と宮城県であわせて6人増えました。 「震災関連死」を含めた東日本大震災による死者と行方不明者は2万2215人にのぼります。 避難生活を余儀なくされている人は、減少が続いているものの復興庁のまとめでは先月の時点で3万884人となっています。 被害の大きかった岩手・宮城・福島の3県では、この12年で道路や住宅といったハード面の復興が進む一方、沿岸部などでは人口が減少しています。総務省によりますと、東日本大震災前の2010年から去年の間の人口の減少率は、全国では1%だったのに対し、岩手県と福島県では10%、宮城県では3%と厳しい状況になっています。 こうした中、NHKが岩手・宮城・福島の被災地の1000人にWEB上で行ったアンケートでは将来にわたって今の街に住み続けたいと答えた人が8割近くにのぼった一方、「若い世代が住み続けられる街にするために足りないと思うもの」を複数回答でたずねたところ、「仕事や産業」と答えた人が61%と最も多くなりました。 若い世代の定着をはかり人口減少を食い止めるには新たな雇用を生み出し、地域経済を回復させることが求められていて、地域のにぎわいをどう取り戻すかが大きな課題となっています。
復興庁のまとめによりますと、震災直後およそ47万人に達した避難者は「災害公営住宅」がすべて完成するなど住まいの環境整備が進んだこともあり、減少する傾向が続いています。 復興庁によりますと、2月1日現在、避難しているのは3万884人で、避難先での定住を決めたり、所在が分からなくなったりした場合は集計から外したこともあって去年の同じ時期と比べ7255人減りましたが、依然として多くの人がふるさとから離れた場所で生活しています。 内訳は ▽親戚や知人の家などで暮らしている人が1万9131人、 ▽いわゆる「みなし仮設」などで暮らしている人が1万1615人、 ▽病院などで過ごしている人が138人です。 また、避難した人が暮らす自治体は47都道府県の871の市区町村となっています。 福島県では住民の帰還の見通しが立っていない地域もあることから避難している人が最も多く、全体のおよそ89%にあたる2万7394人に達し、このうち県外で避難生活している人は2万1101人となっています。 このほか、県外で避難している人は ▽宮城県からが1221人、 ▽岩手県からが578人などとなっています。
10:00ごろ 茨城 北茨城 津波で兄を亡くしたきょうだいが墓参り
09:30 福島 いわき 豊間地区の復興願う桜咲く
09:15 福島 いわき 震災後整備の堤防の上から祈り
09:00~ 岩手 大船渡警察署 身元不明者の情報を提供
09:00ごろ 岩手 大船渡 防潮堤をタイルで彩るイベント
08:30ごろ 宮城 女川町 黄色いハンカチ900枚 駅前の広場に
07:30ごろ 岩手 野田村 漁師の男性「決して忘れない」
07:00ごろ 岩手 宮古 田老地区“震災の教訓伝える”道の駅
06:50ごろ 岩手 大槌町 海に向かい祈り
06:00 福島 ふるさとに戻れない遺骨を供養
06:00ごろ 千葉 旭 早朝から海岸に足を運ぶ人の姿
06:00ごろ 福島 浪江町 朝日に照らし出される慰霊碑
06:00ごろ 宮城 名取 閖上地区 海に向かい祈りをささげる
06:00ごろ 岩手 宮古 田老地区 地震と津波想定の避難訓練
⇒【動画】岩手 宮古 地震と津波想定の避難訓練
06:00ごろ 岩手 陸前高田「高田松原津波復興祈念公園」
06:00ごろ 福島 相馬「語り部」の祈り
⇒【動画】福島 相馬「語り部」の祈り
05:30ごろ 宮城 気仙沼「気仙沼市復興祈念公園」銘板の前で祈り
05:30ごろ 宮城 南三陸町「震災復興祈念公園」
05:30ごろ 仙台 祈りをささげる遺族
⇒【動画】仙台 祈りをささげる遺族
【特設サイト】3.11 伝え続ける 東日本大震災から12年
沿岸部の人口減少深刻 にぎわいの回復課題に
避難者およそ3万900人
各地の様子を時系列でまとめています。
10:00ごろ 岩手 釜石 追悼施設で献花