「平和に暮らすことは、すべての人の権利です」
ウクライナから和歌山大学に留学しているオリハ・パーダルカさんが壇上に立って、母国の現状についてスピーチしました。
「ロシア軍は民間人がたくさんいる駅やデパートを攻撃し、何千人もの若き戦士が命を失っている。子どもが死ぬ、女性が死ぬ。何百万人もの人々が家を離れ、戦争から逃れることを余儀なくされています」
6年前の2016年9月、キーウ国立大学に入学しました。そこで、珍しい言葉だと関心を持ったのが日本語でした。 「日本に行ってもっと言葉や文化を知りたい」 留学を志したオリハさんは、2020年2月に日本の言葉や文化を学ぶ留学プログラムに合格しました。
留学が延期され、2020年6月に大学を卒業したオリハさんは、大学院へ進みました。いつ訪れるかわからない留学のチャンスを待ちながら、さらに日本語を学びました。 待ち続けること2年。ことし2月、オリハさんのもとに1通のメールが届きました。ようやく日本への入国が認められたのです。 「日本に行けるという知らせが届いた時に、やっぱり幸せでした」 ところがその1週間後。ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まりました。
インターネットでロシアによる軍事侵攻が始まった事を知り、軍事施設が攻撃されたのだと察しました。 大勢の人が亡くなり、穏やかな暮らしが奪われました。軍事侵攻が進むさなかでの留学。自分だけ留学して安全な日本に行ってもいいのか。オリハさんはいたたまれない気持ちでした。 「サバイバーズ ギルト(生存者の罪悪感)の気持ちでした。母国では戦争が起こって大勢の人が亡くなって私が留学するのは本当に悪い気持ちでした」 そんなオリハさんを勇気づけたのは家族や友人でした。 「夢を諦めてはいけない」 そう励まされて留学の決心がついたといいます。
そんな中、オリハさんのもとに悲しい知らせが届きました。ことし5月、通っていたウクライナの大学の恩師が亡くなったのです。
「ほかの人のこと考えて家族のことを考えて、本当に国を守りたい人が多いです。命を失うことは、悪いことです。やはり嫌です。でも私たちが国を守らなければ」
軍事侵攻から半年近くがたち、学校に勤める父からうれしい知らせもありました。 オリハさんの父 「子どもたちと会って授業ができるようになったんだよ。学校にシェルターもできたんだよ。あとはシェルターの中に机といすを並べるだけ」
「再び戦争をしないようにというメッセージを含めている平和の集いみたいなイベントは本当によいと思います。ウクライナについて、多くの人にその状況とか、いろんな情報を伝えたいと思います」
「世界のコミュニティーが、いまロシアの行っていることすべてを認めてはいけません。世界が団結し、政治的にも経済的にもロシアの侵略に反対し、そして一日も早く平穏な生活に戻れることをせつに願っております」 遠く離れた日本でウクライナの平和を願うオリハさん。卒業後は母国のために働くことを目指しています。 「将来は日本とウクライナの懸け橋として外交官に勤めたいと思います。日本とウクライナの関係を強くしたいです」
珍しい言葉 日本語にひかれて
相次ぐ困難 待ち望む留学
家族をおいて1人留学してもいいのか
日本で知った悲しい知らせ
母国に残る家族は
戦争の悲惨さ 語ることを決意