神戸市の有本明弘さんは、1983年、イギリス留学を終えてヨーロッパを旅行中に北朝鮮に拉致された有本恵子さんの父親です。
5年後の1988年に恵子さんが北朝鮮にいることが分かって以降、妻の嘉代子さんとともに救出を求める活動を続けてきました。
1997年に拉致被害者の家族会が結成されてからは、全国を回って署名や講演活動を行うようになり、被害者の一刻も早い帰国を訴えてきました。
また、来日したアメリカの当時1期目だったトランプ大統領や、バイデン前大統領とも面会を果たし、解決への協力を求めてきました。
解決に長い時間がかかり被害者家族の高齢化が進むなか、2020年に妻の嘉代子さんが娘との再会を果たせないまま94歳で死去。
記者会見した明弘さんは涙を何度もぬぐいながら「ことばが出えへん」と繰り返し、二人三脚で救出活動を続けてきた嘉代子さんの死を悼んでいました。
足腰の衰えから、日課としていた散歩も難しくなり、出かける時は車いすを使うようになっていた明弘さん。
その後も、被害者の家族会の会合や集会に出席したり、政府に訴えたりして、1月12日の恵子さんの65歳の誕生日には神戸市内の自宅でケーキや赤飯などを用意して祝いました。
体力が落ちてきていた明弘さんは文書でコメントを出し、「誕生日ですが、本人がここにいないので、私の口からおめでとうとは言えません。今、恵子に伝えるとしたら『もうちょっと、待っとけ』としか言いようがありません。私は今96歳ですが、生きている限り解決につながる方法を考え続けます」としていました。
明弘さんは恵子さんの一刻も早い帰国の実現を求めていましたが、96歳で亡くなりました。
政府が認定している拉致被害者のうち安否が分かっていない12人の親で、子どもとの再会を果たせずに亡くなった人は、2002年の日朝首脳会談以降だけでも明弘さんで9人になります。