西田さんは福島県出身で、「釣りバカ日誌」シリーズやNHKの大河ドラマなど多くの映画やドラマに出演し、親しみやすい人柄で人気を集めましたが、去年10月、虚血性心疾患のため76歳で亡くなりました。
18日は東京 港区の増上寺でお別れの会が開かれ、生前に交流のあった俳優や歌手など関係者およそ700人やファンが参列しました。
増上寺には江戸幕府の歴代の将軍が埋葬されていて、西田さんが大河ドラマ「葵 徳川三代」で2代目の徳川秀忠を演じた縁から会場に選ばれました。
祭壇は西田さんの遺影を中心に4000本の花や緑で地元福島県の磐梯山や猪苗代湖を表現したということです。
このほか会場には西田さんの出演した映画やドラマのポスター、パネルなどが展示され、自身のヒット曲の「もしもピアノが弾けたなら」なども流されました。
式では民放のドラマで共演した俳優の米倉涼子さんや、脚本家で映画監督の三谷幸喜さんらが弔辞を読み上げました。そして参列者たちは祭壇に花を手向け、別れを惜しんでいました。
三谷幸喜さん弔辞「あの時の西田さんの言葉があるから」
脚本家で、自身が監督を務めた映画に西田さんが出演した三谷幸喜さんは、弔辞で「いつも明るい方でした。西田さんの周りには、いつだって笑いがあふれていました。この厳かな会場の中心に西田さんがいるその現実に、ぼくは違和感を覚えずにはいられません。
西田さんからうかがった話です。遠い昔、西田さんが『西遊記』というドラマで、富士のすそ野にロケに行った時のこと。休憩中に、西田さんはどうしても我慢できなくなり、草むらでそーっと脱ぷんされたということです。すると自衛隊の小隊が通り豚の姿で脱ぷんしている西田さんを見て、思わず全員で敬礼をしたということです。
西田さんから何度かこの話をうかがったことがあるのですが、これにはいくつかバージョン違いがあって、戦車が止まったとか、パラシュート部隊が降下してきたとか、一体どれが本当の話なのか、今となってはもう確かめるすべがありません」と西田さんのユーモアあふれるエピソードを紹介しました。
そして「僕の映画に出てくださった時、撮影が始まる前に、西田さんはスタジオの隅に僕を呼び出しました。売れない俳優役の佐藤浩市さんがギャングのボスの西田さんの前で何度もナイフをなめるというシーンで西田さんはご自分のセリフ『そんなに気に入ったのなら持ってきなさい』の部分を指差して『こんな面白いシーンを書いてくれてありがとう。僕はこのセリフを言うのが楽しみで楽しみで仕方なかったんですよ』とおっしゃいました。脚本を書く人間としてこれほどうれしい言葉はありません。
あの時の西田さんの言葉があるから、僕は今もこの仕事を続けていけます。西田さんに会う事はもうできませんが、西田さんが演じた様々な登場人物たちはこれからもずっと僕らを楽しませてくれます。例えば陽気なカメラマン、例えば人情味あふれるサラ金の取り立て人、ちょっと太めの木下藤吉郎、釣りが大好きなサラリーマン、世界的な冒険家、冷徹な医師、冷徹な医師の義理の父親、情熱的な映画館主、チャーミングな落ち武者、猪八戒、金田一耕助、徳川将軍、徳川将軍、徳川将軍。
西田さんは、かつてご自分の人生についてこう書かれています。ただただ人を喜ばせ楽しませ、それによって自分を喜ばせ楽しませたい。安心してください。西田さんの残した分身たちは、これからもずっと僕らを笑わせ泣かせ喜ばせ楽しませてくれるはずです。感謝の気持ちを込めて、西田敏行様」と述べました。
米倉涼子さん弔辞「目指したい存在ナンバーワン」
民放のドラマで共演した俳優の米倉涼子さんは、西田さんの遺影に向かって一礼し、手を振ったあとに弔辞を述べました。
米倉さんは涙を浮かべながら「敏ちゃん、幅広い交友関係をお持ちの西田さんの弔辞にこうして私が立っているということがまずなんというか、不思議だなって思います。いつしか西田さんから敏ちゃんという存在に、憧れから願いかなって共演者、飲み仲間、カラオケ仲間、そして相談相手にもなっていただき、目標とする俳優になりました。『ドクターX』というドラマを通じて家族同然の存在となり、2013年の共演からあっという間に時がたってしまいました。そしてまるでワープでもしたかのようにいってしまったと知ったとき、心の準備もなく、電車の中で大声をあげて泣いたことをはっきりと覚えています。喜怒哀楽を自由自在に表現し、老若男女の壁も壊し、友好関係を広げ、体いっぱいで人生をおう歌しているように見えた敏ちゃんは、俳優としても人間としても目指したい存在ナンバーワンなのです」と述べました。
そして「敏ちゃんの敏感なアンテナを誰もがうらやましく思っているのではないでしょうか。甘えたり、怒ったり、意見したり、笑わせたり、敏ちゃんはどんな時も人の中心にいました。ああ、本当はもっとうたげの席で敏ちゃんの友人たちとお会いし、つながりたかったなと思っていましたが、きょう今、こうしてみなさんにお会いすることができました。ありがとう。役者としての基礎を持たない私がずっと不安で探し求めているお芝居をする上での根本的なことを敏ちゃんの背中を見て気づかせてもらった気がします。この気づきや発見、そして悩みはまだまだとめどなく続きがありそうですけど、これが役者としてのおもしろいところだよね。おしみない愛情のこもったたくさんのアドバイス、心からありがとうです。本当は悲しいし、まだまだたくさん同じ時間をすごしたかったけれど、天国からこれからもずっと日本のエンターテインメント界を見守ってください。そして気が向いたら私の体を使ってお芝居をしに来てくださいね。大好きだよ」と感謝のことばを述べました。
堺正章さん「西遊記 猪八戒が現場を盛り上げてくれた」
民放のテレビドラマで西田さんと共演した堺正章さんは「『西遊記』は大変な思い出がたくさん詰まっていますが、西田さんの『猪八戒』が現場を盛り上げてくれて、明るくなったことを今でも覚えていますし、芝居をすることが天職なんだという気持ちを若いころからお持ちで、自分も見習わないといけないなと思います。いろんな作品でたくさんの感動を届けてきたと思うので、『お疲れさま』ということばがいちばんかなと思います」と話していました。
松崎しげるさん「映画『アウトレイジ』のようでした」
西田さんと交流の深かった俳優の柴 俊夫さん、萬田久子さん、田中 健さん、それに歌手の松崎しげるさんが会のあとに取材に応じました。
松崎さんは「お別れはしていないです。『さよなら』もまだ言えていません。きっと楽園に行っているのでまたそこで会えるんじゃないか」と語りました。
また、20代の西田さんは感情の起伏が激しかったこともあったと振り返り、松崎さんは「映画『アウトレイジ』のようでした。怒るときもあれば泣くこともあって、喜怒哀楽そのままのような人でした」と話していました。
武田鉄矢さん「きょうはちゃんとお別れができたような気が」
西田さんと親交の深かった武田鉄矢さんは、報道陣の取材に応じ「付き合いが長く、突然の訃報でびっくりしましたがきょうはちゃんとお別れができたような気がします。何べん考えてもいい人でした。私にとっては1つ年上の兄貴みたいな人で本当にお世話になりました」と別れをしのんでいました。
そして「2人とも売れるスピードが遅くて、ずいぶんくすぶった時期もありましたが、こんな仕事がきたらこんな風にやろうとか、主役をとったら交代でゲスト出演しようとか、お互い語り合って、楽しかったですね」と涙をこらえながら話していました。
また、去年のNHK紅白歌合戦で西田さんのヒット曲を披露したことについて、「あんまり上手に歌わないように気をつかいました。上手に歌うと叱られそうな気がして。『だから俺がおめぇのそばにいねぇとだめなんだ』ってそう言われる気がしたので、上手に歌わないように頑張りました」と振り返っていました。
名取裕子さん「あんな方はなかなかいらっしゃらない」
俳優の名取裕子さんは「現場を和ませてくれる方で、亡くなる前の時代劇の現場で、ひざがしんどそうなときもあったんですが、お芝居が始まると『さっきまでの痛みはどうなったの』と思うくらい、生き生きしていました。天才ですね、あんな方はなかなかいらっしゃらないと思います。これからも、みんなを笑顔で見守りながら、みんなの芝居にいっぱいダメ出ししてくださいと伝えたいです」と話していました。
遠藤憲一さん「コメディーの部分を引っ張り出してもらい感謝」
民放のテレビドラマで長年共演してきた遠藤憲一さんは「11年間、部下の役をさせてもらいましたが、西田さんがどんな芝居をするのか、まったく予想がつかないところがおもしろくて、最初は『こわもて』だった役が最後は気弱でまぬけな人間丸出しの役にまで引き出してもらって、自分の中のコメディーの部分を引っ張り出してもらい、感謝しています。西田さんとの芝居はすごく緊張してどうなってしまうのかとどきどきしますが、それがスリリングで楽しかったです。これだけ大勢の方に見送られて、最高に幸せな人生だったと思うので、『よかったですね』というのと、『お疲れさま、ありがとうございました』とお伝えしたいです」と話していました。
観月ありささん「背中追いかけるように芝居を学ばせてもらった」
西田さんとドラマで共演していた観月ありささんは「亡くなる直前も飲食店で偶然会って『元気ですか』とお話ししたら、『元気だよ、大丈夫だよ』とおっしゃっていたので、お別れがくると思っていなくて、まだ信じられないです。初めて共演したとき、若くて右も左も分からない私は西田さんの背中を追いかけるように芝居を学ばせてもらいました。まだまだ学ばせていただきたかったし、いろんなお話をしたかったし、本当に太陽のような方でした」と話していました。
山田涼介さん「涙は流さず元気にまたお会いしましょうと」
人気アイドルグループ、Hey!Say!JUMPのメンバーで、俳優としても活動している山田涼介さんは「本当にお世話になりましたと伝えたくて会いに来ました。映画で共演したとき、まだ20歳前後でしたが若手にも分け隔てなく接してくれたことを覚えています。自分がアイドルと俳優という2つの仕事をやることの抵抗について見抜かれていて、お手紙をもらったことがあります。現場ではおちゃらけた姿をたくさん見せていましたが、演者やスタッフをよく見てくれていたんだなと思います。西田さんが生前、『お別れの会は明るく元気に』という言葉を残していたので、きょうは涙は流さず、元気にまたお会いしましょうと伝えてきました」と話していました。