入学式を前に【動画】1分50秒
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「さまざまな学問の分野を学べることに感謝」
皇位継承順位第2位の悠仁さまは、5日朝早く、お住まいがある赤坂御用地を車で出て、およそ60キロ離れた茨城県つくば市にある筑波大学のキャンパスに向かわれました。
そして、午前8時前、入学式を前に報道陣の取材に応じられました。
紺色のスーツ姿の悠仁さまは「いまの心境をお聞かせください」と声をかけられると、「以前から興味を持っていました分野をはじめ、さまざまな学問の分野を学べることに感謝をしております。そして、学業以外の活動も楽しんでいきたいと思います」と述べられました。
そのうえで、キャンパスの印象について「あらためて見ていましても広いキャンパスですし、そして、緑が豊かであると感じています。このキャンパスで学生生活を送れることをうれしく思っています。授業の合間とか、自転車に乗って移動しようと思っています」と話されました。
戦後生まれの皇族の国立大学進学は初めてで、悠仁さまは、午前9時ごろからほかの新入生とともに講堂で入学式に臨まれました。
悠仁さまは、式が始まる前、隣の席の学生と笑顔で会話を交わされていました。
悠仁さまが学ぶ生命環境学群生物学類は、関心を持たれている昆虫や植物をはじめ生物学の幅広い分野を学ぶことができ、必修科目として1年生から実験も行われます。
授業は今月14日から始まり、キャンパスが赤坂御用地から離れていて通学に時間がかかることから、悠仁さまは、しばらくは、お住まいから車で通う方法と、大学の近くに借りた民間の集合住宅から通う方法を組み合わせて通学されるということです。
悠仁さま「学問をしっかりと修め 課外活動にも」
悠仁さまは3月の記者会見で、進学先として筑波大学生命環境学群生物学類を志望した理由について「興味を深く探究したいと考え、様々な大学を調べていく中で、生物について学べる環境が自身に適していると考えたため志望しました。また、実験が豊富にあり、実習場も備えているため、生物に直接触れて学ぶことができるところが魅力であると感じました」と述べられました。
そのうえで、筑波大学について「一つのキャンパスの中にいわゆる学部・学科に相当する学群・学類が多く集まっており、学んでいる分野以外の人とも交流をすることができることが良いことだと思っています」と話されました。
さらに、「大学に入学しましたら、以前から興味を持っていました昆虫、とりわけトンボも含めて、幅広く学んでいきたいと思っております。また、現在の市街地におけるトンボの減少といった状況も受け、保全や保護のような観点にも興味を持っています」と語られました。
また、大学入学後の生活スタイルについて「高校までとはかなり異なるものになると思います」としたうえで、「学問をしっかりと修め、課外活動にも取り組めたら、と思っております」と話されていました。
筑波大学とは
筑波大学は、日本初の教員養成機関として1872年に東京で設立された師範学校が起源で、悠仁さまが進学された生命環境学群生物学類など11の学群と専門学群があり、大学院を含めて1万6000人余りの学生が通っています。
生命環境学群生物学類は、1学年80人の学生に対し70人ほどの教員がいる「国内最大規模の生物学科」で、生物の分類を調べる基礎的な研究から医療や食糧問題などを見据えた応用的な研究まで幅広い分野を学ぶことができ、悠仁さまが関心を持たれている昆虫を研究する教員も複数います。
大学によりますと、秋入学の学生も多いということで、5日は悠仁さまを含め60人が入学しました。
また、御用邸もある静岡県の下田や長野県の菅平高原にある実験施設などで野外実習なども行われています。イギリス・マンチェスター大学の生物科学部との交換留学制度も備えているということです。
筑波キャンパスは国内で2番目の広さ
悠仁さまが通われる筑波キャンパスは、敷地面積およそ258ヘクタールと、単一の大学キャンパスとしては国内で2番目の広さです。
東西およそ1キロ、南北およそ5キロの敷地にさまざまな建物や運動施設、それに農場や実験林などがあり、授業ごとに自転車を使って移動する学生も多いということです。
伯父の天皇陛下と父親の秋篠宮さまの大学生活
40年余り前に大学生活を送った伯父の天皇陛下と父親の秋篠宮さまも、この時代に多くの学びと出会いを得て、青春をおう歌されました。
天皇陛下が学習院大学文学部史学科に入学されたのは、キャンディーズが解散し成田空港が開港した昭和53年。
勉学に励むかたわら、音楽部に所属しビオラの演奏に打ち込まれました。
他の学生と同じように学生食堂で食事をとり、コンパにも参加されたといいます。
2年生の夏には北海道で開かれたスポーツ大会に出席し、初めておことばを述べられました。
3年生の冬にはタイを旅行し、大学卒業後は、皇族として初めて大学院に進んだあと、2年間イギリスに留学して見聞を広め、国際感覚や自立の精神を養われました。
天皇陛下は、ことし2月の記者会見で「私自身の大学時代を振り返ってみると、専門の日本史の研究や部活動としてのオーケストラでの練習などを通じて、年齢の幅もある様々な人と出会うことができたと思います。そして、様々な背景や関心を持った先生方や友人たちから多くのことを学びました。高校時代までの友達も大切ですが、大学で知り合った人々との交流も続けています」と述べられました。
そのうえで「悠仁親王には、大学生活を通して、本当に自分がやりたいことを見つけるとともに、様々な人と出会い、自身の将来をしっかりと見つめつつ、実り多い学生生活を送ってほしいと願っております」と話されました。
秋篠宮さまが学習院大学法学部政治学科に入学されたのは、宮崎駿監督のアニメ映画「風の谷のナウシカ」が公開され、コアラとエリマキトカゲがブームになった昭和59年。
この年の夏には、宮城県で開かれたシニアスカウト大会に出席し、初めておことばを述べられました。
2年生の時に、1歳年下の紀子さまと大学内の書店で出会い、自然文化研究会というサークルで活動されていました。
婚約の際の記者会見で、プロポーズしたのは大学3年生の6月、大学近くの交差点で信号待ちをしている時だったと明かされました。
この頃(昭和61年6月)、初めての公の役職として山階鳥類研究所の総裁に就任されました。
大学在学中は、イギリス、タイ、マレーシア、シンガポールへの旅行も経験し、卒業後はイギリスに留学して動物学を学ばれました。