日銀が今回公開したのは2014年7月から12月までの金融政策決定会合の議事録です。
中でも10月31日の会合では、このおよそ1年前に就任しバズーカとも呼ばれた大規模な金融緩和を行っていた黒田前総裁にとって初めてとなる追加の金融緩和に踏み切って金融市場を驚かせ、日付にちなんで「ハロウィーン緩和」とも呼ばれました。
会合では、消費税率引き上げ後の反動減や原油価格の下落などで物価が下がるリスクが指摘され、黒田前総裁など5人の委員が「適切に対応しなければ日銀の政策への信頼性が大きく低下する」などとして追加の金融緩和に打って出るべきだと主張しました。
このうち白井審議委員は「新たなアクションを伴わなければ2年で2%の物価目標を達成するというコミットメントを日銀がほごにしたと誤解されるリスクが高い」と支持しました。
これに対して、ほかの委員はそれまでの金融緩和で効果は累積していると主張し、中でも木内審議委員は、追加の金融緩和は債券市場の機能が低下するなど副作用が大きいと指摘したうえで「戦力の逐次投入はしないという当初の方針に反する」と強く反対しました。
また、佐藤審議委員も反対意見を主張したうえで、採決の直前に「賛成票を投じた審議委員として名前は残したくない」と述べました。
結局、追加の金融緩和は賛成5、反対4というギリギリの採決で決まり、株価は急上昇しました。
ただ、日銀はこの追加の金融緩和でも2%の物価目標を達成できず、その後、異例中の異例とも言われたマイナス金利政策を導入するなどさらなる対応を迫られます。
大規模な金融緩和の結果、日銀は国債の多くを保有することになり、当時指摘された債券市場の機能が低下するといった副作用は、10年たった現在の植田総裁のもとでも大きな課題となっています。
白井元審議委員「全部やることが必要だった」
2014年10月の追加の金融緩和に賛成した白井さゆり元審議委員は「インフレ率も消費税率引き上げの部分を除くと下がっていたし、経済の状況もかなり悪かった。当時の黒田総裁は『2年で2%』の強力なコミットメントがあり、達成が困難な場合にはちゅうちょなく必要な措置を取ると言っており、何もしないとなると日銀の信認が問われてしまうので賛成した。やはり、やれるだけ全部やることは必要だった」と賛成した理由を述べました。
そのうえで「あのときはまだ追加緩和の余地があったわけで、私としては最後の1回ということでもう1回追加緩和をして、どうするかという判断をしてもいいと思った。今振り返ってもやはり中途半端でやめるというのは考えられなかったと思う」と述べました。
白井元審議委員は、その後、日銀がマイナス金利政策の導入など緩和策を拡大していったことについては「プラスの効果もあったが結果的には需要を上げてインフレを2%にするというのはできなかった。あらゆる手段をとっても日本は構造的になかなか内需が強くならないことをはっきり示したということだと思う」と述べました。