母親が通っていた地元の旧統一教会で幹部を務めていた男性は、このころ、容疑者やその家族と関わり始めたといいます。
---容疑者の母親はなぜ教会に入信し、献金を重ねることになったと考えるか。
(地元教会の元幹部)
「徹也の兄は、小さいころから大きな病を患っていて、1歳半の時、手術をした。母親は『24時間つきっきりで看病して大変だった』と話している。その後も治療が続いた。『この子(兄)に二度とこんな手術をさせないですむようにと考え、献金を始めた』と言っていた。徹也の父も幼い時に亡くなった。母親は、献金することが回り回って自分の子ども、そして、家族の平穏につながると信じていたそうだ」
元幹部の男性によりますと、母親は家族の平穏を願うなかで、教会の教義にすがるように献金を続けたといいます。
容疑者の父親の死亡保険金のほか、祖父から相続された会社事務所の土地、当時の自宅の土地を売却して合わせて1億円以上を教会に献金し、平成14年(2002)、容疑者が21歳の時に、母親は自己破産しました。
この時、母親は韓国の教会施設での活動に参加していて、息子のもとに駆けつけることはなかったといいます。 代わりに病院に駆けつけたのはこの元幹部でした。 (地元教会の元幹部) 「病院で徹也は『困窮していた兄などのために自分の生命保険金でお金を残したいと思った』と話していた。私からは今後の仕事の話をしたあとに、いろいろな資格をとることを勧めた」 ---容疑者と母親の関係はどのようなものだったと感じているか。 (地元教会の元幹部) 「母親は、病を患っていた兄に関心が向いていた。全体が10だとすると、兄貴が8、徹也は1くらい。徹也は母親の意識の中から外れていたと思う。徹也は常にさみしかったのかもしれない」 自殺未遂のあと、容疑者から届いたメールには、 「僕は、人と一緒にいるのがとにかく苦手です。寂しくてしかたがないのに、むしろしかたがないから、誰とも一緒にいられません。その寂しさの原因はなんなのでしょう」という内容が書かれていたといいます。
(地元教会の元幹部) 「母親は当時、『献金を後悔していない』と言っていたが、山上家の困窮した生活を見ると、無理のある献金だと思った。教会はそのような金を受け取るべきではなかったと判断した」 しかし、生活の困難は続き、平成27年(2015)、容疑者の兄は、望んだ治療を受けられないことに絶望した末に、自殺したといいます。 元幹部の男性は、韓国に移り住んでいて、容疑者とのやり取りは減っていました。 事件の1年余り前の去年5月、容疑者から、旧統一教会への恨みなどが書かれたメールが届いていたということですが、これに気がついたのは事件のあとだったといいます。 メールの直後、SNSには、容疑者が元幹部に宛てたとみられる投稿がありました。 (山上容疑者のものとみられる投稿) 「今回連絡してみようと思ったのは、あなたも統一教会を憎んでいるだろうと思ったからです。憎んでいるならさぞかし深く深く憎んでおられるだろうと。統一教会を許せないという気持ちがあるならどうか連絡してください」 (地元教会の元幹部) 「直接的に書いているわけではないが、統一教会を恨んでいるのなら、一緒に恨みを晴らしましょうと感じさせる内容だった。すでにこのときには行動を起こそうと決意していたのではないかと感じた。せめて1年に1回ぐらい、私の方から『元気してんの?』と、年賀状代わりにメールでも送っていたら、状況が変わったかもしれない」
(地元教会の元幹部) 「山上徹也という人間は、統一教会が社会悪だということを心底信じて、自分の人生をかけてそれを成敗するために悩んでいた。統一教会が悪いということをどこかで決心、確信したのだろう。徹也と母親の間でのコミュニケーションが少なかったことも1つの要因だと思う」 ---教会の責任をどう考えているか。 (地元教会の元幹部) 「やり取りを続けてきた私としても、事件について申し訳ないという気持ちが一番だ。母親という信者がいる家庭で、容疑者が事件を起こしたことは教会に落ち度があると思っている。本来、家庭を幸せにすることが教義であるはずの教会に関係して事件が起こってしまった。今後、こうした無理のある献金をさせないように、教会としても改革を進める必要があると感じている」 殺人の疑いで捜査が進められている山上容疑者については、11月下旬までの期間で刑事責任能力を調べる精神鑑定が行われていて、警察が母親の献金などについても詳しく調べ、事件のいきさつの解明を進めています。
家族の困窮続き 容疑者が自殺図る
教会の元幹部「無理のある献金だと思った」
教会の元幹部「申し訳ない気持ちが一番だ」
⇒ 旧統一教会 改革できるのか? 改革推進本部長に問う