日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会の代表委員の田中煕巳さん、田中重光さん、箕牧智之さんの3人は、授賞式から一夜明けた現地時間11日午前、ノルウェーのストーレ首相と面会しました。
この中でストーレ首相は「演説でのメッセージはとても感動的だった。核兵器による破壊の恐怖を生々しく伝えてくれた」と述べました。
このあと田中煕巳代表委員とともに記者会見したストーレ首相は、「核兵器が1945年以来使用されていないことは、人類の一つの成果である。私たちは核保有国に核軍縮に再び取り組むよう圧力をかけなければならない」と述べました。
これに対し田中代表委員は、「ストーレ首相が核兵器の廃絶について強い思いを抱いてきて、ノルウェー政府としてそれを貫きたいということで大変うれしく思う」と述べました。
そのうえで、「日本政府が私たちの声に十分に耳を傾けているかと言えばそうではなく、日米同盟の中で核兵器禁止条約にすら署名も批准もしないという態度を持ち続けている。核戦争被害国と言っている日本が先頭に立たないといけないので、帰国後、政府に対してまず核兵器禁止条約を固めて、最終的には速やかに核兵器をなくすまで指導性を発揮するよう要請したい」と述べました。
また、原爆で死亡した犠牲者への政府による補償について、「大変だとは思うが実現しなければいけないという決意だ」と述べました。
日本被団協の代表団は日本時間の12日ノルウェーを離れ、13日に日本に帰国する予定です。
演説で2度言及 “原爆犠牲者への補償なし”
授賞式の演説で田中煕巳代表委員は、原爆の犠牲者に対して日本政府による補償が行われていないことについて、2度にわたって言及しました。
演説でアメリカの原爆によって亡くなった広島と長崎の犠牲者をめぐり、「日本政府は一貫して国家補償を拒み、放射線被害に限定した対策のみを今日まで続けております」と述べました。
そして、「もう一度繰り返します。原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたいというふうに思います」と述べ、予定していた原稿にはない内容を話しました。
日本政府は、原爆で被爆した人については医療費の公費負担などを行っていますが、亡くなった人については補償を行っていません。
これに対し、日本被団協は1984年に発表した「原爆被害者の基本要求」で、「原爆被害が、戦争の結果生じたものである以上、その被害の補償が戦争を遂行した国の責任で行われなければならないのは当然のこと」だとして、新たに法律をつくって原爆の犠牲者の遺族に弔慰金の支給などを行うよう国に求めています。
田中さんは2度にわたって言及した理由について、一夜明けた11日の記者会見で質問されると、「しゃべっている中で、戦争の犠牲に対して国がどういう対応を取るかは日本の問題でもあるが、国際的な問題でもあるとふとあそこで感じたので付け足した。世界全体で、戦争と国民の犠牲との関係をどう作り上げていかなくてはいけないかということを考えてほしいという願望が表れたと思う」と述べました。
国の補償の現状は
国は法律に基づき、旧日本軍の軍人、戦地で雇用されるなどしていた軍属、それに学徒として動員されるなどした準軍属については、国と雇用関係にあったとして、公務上のけがや死亡に関して本人には障害年金、死亡した人の遺族には遺族年金などを支給しています。
一方、原爆や空襲などで被害にあった民間人は、国による補償の対象になっていません。
このうち、原爆の放射線による健康被害については「他の戦争被害とは異なる特殊の被害」として、広島や長崎の被爆者などには健康管理手当や医療費の公費負担などの救済策がとられています。
フォーラムで証言“協力し合うことが必要”
核兵器廃絶への道筋を議論するフォーラムがノーベル平和賞の授賞式にあわせてノルウェーの首都オスロで開かれ、広島と長崎の被爆者が登壇して証言を行いました。
フォーラムは、ノーベル平和賞の授賞式にあわせて毎年開かれていて、ことしは核兵器廃絶への道筋について専門家などによる議論が行われました。
これに先立ち、被爆による人体への影響を長年研究してきた長崎の被爆者で医師の朝長万左男さんと、G7広島サミットの際に各国の首脳にも証言を行った広島の被爆者の小倉桂子さんが登壇して、英語で自身の体験を語りました。
このなかで朝長さんは、原爆投下後に白血病になる被爆者が増えたことに恐怖を感じて医師になったとしたうえで、「被爆者の体内にはがんや白血病になりうる幹細胞が生涯存在し続けると考えられるし、心理的な影響も一生続く。若い世代が国を越えて協力し合うことが必要だ」と訴えました。
また小倉さんは、原爆投下直後、水を求めた人に言われたとおり飲ませると、すぐに息絶えたことがトラウマになっていると語り、「被爆者には、写真などには写らない見えない傷も残っている。死ぬ前に核兵器のない世界が見たいし、それにはあなたたちの助けが必要だ」と呼びかけ、会場から拍手が起こっていました。
被爆者“考えるきっかけに”
フォーラムでの証言を終えた朝長万左男さんは「被爆者としては、証言をどのように続けていくか、特に核兵器国に対してどのように訴えるかということを真剣に考えないと、ノーベル賞をいただいたかいがない。若者世代が核兵器は捨てるべきだという共通認識を形成して、国を越えて世界の連帯を実現することなくして、核なき世界実現へのスタートはありえない。ノーベル賞の受賞は、そのきっかけを作ると思う」と話していました。
また、小倉桂子さんは「これからも大変な仕事があると思った。広島と長崎で起こったことは決して絵そらごとではなく本当の状況だということを心していただきたい。ノーベル平和賞の受賞を、世界が改めて平和や核兵器はどういうものかを考えるきっかけにしてほしい」と話していました。
「在外被爆者」オスロの若者に証言
また、被爆後に海外に移り住んだ「在外被爆者」などがオスロの若者と交流するイベントに参加しました。
これは、核廃絶に取り組むオスロの団体が開いたもので、現地の若者などおよそ80人が集まりました。
招待されたのは、いまはブラジルや韓国などに住む広島の被爆者3人と、核兵器廃絶を求める活動を続ける「高校生平和大使」の代表4人です。
このなかで、ブラジルに移り住んだ渡辺淳子さん(82)は、原爆による黒い雨を浴びて一時は生死をさまよった経験など被爆の実相を伝える活動を20年近く続けてきたことを紹介しました。
そして「いまから世界を背負っていく若者には、被爆者の証言を聴いて原爆とは何か感じ、原爆が二度と使われることがない世の中を作ってほしい」と声を震わせながら訴えると、現地の若者たちから大きな拍手が送られました。
また、長崎県の「高校生平和大使」の大原悠佳さんは平和教育をきっかけに活動を始めたことに触れ「いまを生きるすべての人が核兵器の問題を自分のこととして考えられるような平和教育が大切だ」と伝えていました。
被爆証言をした渡辺さんは「しっかりと聴いてもらえたと感じた。小さな力でもたくさんの人の思いが一緒になれば、必ず核兵器廃絶に向けた未来が見えてくると信じている」と話していました
高校生平和大使“被爆者の思いが伝わり 広めてもらえたら”
イベントのあと「高校生平和大使」の代表4人が取材に応じました。
被爆3世の大原さんは「被爆者の話には重みがあり、改めて核兵器廃絶が大事だと感じた。私たちは被爆を経験していないけれど、被爆者が話しているときの表情や話を聞いたときの自分の思いなどひとつひとつを大切に細かなことも伝えていけるようにこれからも学んでいきたい」と話していました。
長崎県の被爆3世の津田凜さんは「被爆者と若者が国をまたいで質問や会話ができてよかった。被爆者の思いがオスロの人たちに伝わり、広めてもらえたらうれしい。私も『在外被爆者』の話を直接聞いたのは初めてで、知らない人が多いと思うので、次は国内でも広めていきたい」と話していました。
広島県の甲斐なつきさんは「興味を持ってくれる人の数にすごく感動した。被爆者の数が年々減り、被爆者自身も危機感を抱いていると思うので、私たちがどのようにこれからの世代に被爆体験を受け継いでいくのか改めて考えさせられた機会だった」と話していました。
熊本県の島津陽奈さんは「日本にいると外国の人との交流が難しく、同じ場所で議論ができることは貴重だと思った。こういう機会がインターネットでもいいので、また作れたらいい」と話していました。