人間には四種類ある。過去の思い出に生きる人、未来に生きる人、現在に生きる人、その他だ。 わたしは「あのときこう言い返せばよかった」とよく後悔するから過去に生きているのかとも思うが、過去の思い出にひたることはないし、「思い出づくり」にも興味がない。過去の栄光も意識に上らない(過去の栄光がないかもしれない)。第一、過去に目を向けることがない。人に自慢しようとして、自慢できるところが現在の自分に見当たらず、過去の中に無理やり探すときぐらいだ。___1___ 、つらい出来事はずっと尾を引く。先日、失意の底に沈んだときは、立て直るのに二日かかった。たぶん過去のことは二日経つと他人事に思えるのだ。 未来はどうか。わたしはよく、流暢に話せないのではないかなどと未来に不安を抱くし、食事でも、好きな物が最後に残るよう計画的に食べるから、未来に生きていそうだが、そうとも思えない。たとえば、未来のために健康診断を受けたほうがいいと思うが、検査は極力避けている。仕事も、今日できることを一日延ばしにして、結局、約束が守れず謝罪する。計画は立てるが、計画性がないのだ。万事、行き当たりばったりだ。 学生時代、進路を哲学に変えたときもそうだった。当時は就職難で、大学院に行くと就職はまず無理だったが、決断には何の迷いもなかった。親から、哲学に進むなら仕送りをやめると脅されても、生活のあてもないまま、まったく動じなかった。わたしが楽天的だからではない。たんに先のことが他人事としか思えないのだ。 自分の未来は一日で十分だ。わたしは人生が何百年もあればいいのにと願っているが、人生のうち、___2___ 人生だと思っているのは今日一日と過去二日と未来一日の余計四日日間だけだ。