ある有名なインタビューアーが、「いろんな人に会わなくちゃならなくて、たいへんですね。いい人、好きな人だけじゃなくて、いやな人、きらいな人もいるでしょうに」と言われて、「いいえ、はじめから好きな人、きらいな人、ということはありません。はじめは虚心(注1)でその人に会うようにしています。最低限、その人に好意と関心をもつようにして」と言っていたのが印象的である。 私たちは、人に聞いたことや、会ったときの印象で、ある程度、相手の人がらを決めてしまいがちである。 その人の容貌や服装やからだの特徴や、ことばづかいや動作や姿勢、さらにまた、職業や年齢や出身、経験、社会的地位などといったものからでも、どんな人か、何らかの先入主(注2)を抱く。出会ったときの、自分側の条件や、その場面にもよるわけだが、そういうことを割り引いて、冷静に考える人はまれで、たいていは、自分のこれまでの体験から、あれはこういう人だ、というイメージをつくり上げる。過去の経験で似た人がいれば、その人の印象が重なってくる。意識的に払いのけようとしても、この第一印象は、強い影響をあとに残す。 (中略) 結婚のための見合いのような場合、内心強い劣等感を持っていて、きらわれるのではないかという恐れを抱いていると、相手に対する見方にも、バイアス(かたより)が生ずる。畏怖(注3)して、相手が実物以上によく見えたり、逆に、反動的に、なにかにつけて、わるく、低く見ようとしたりする。 人生、はじめての出会いは、すべて、見合いみたいなものだが、身がまえてコチコチになっていると、相手の姿が正確に見えない。特に利害がからむと、バイアスがかかりやすく、かたよった先入主を抱きがちである。ずるそう、おっかなそう、きつそう……など。それは、多分、自分側の気持ちを、相手のイメージに投影しているのである。 身がまえることなく、相手を受けいれることが、いかに難しいか。自己防衛的な身がまえは、相手に対して、ドアを閉じようとしている姿勢である。ある有名なインタビューアーが言ったように、自分の心のドアを開け、人に接しようとする心がけが必要である。パッと見た瞬間の印象にとらわれたり、こだわったりすると、人間関係は玄関先でギクシャクする(注4)。 (注1)虚心:先入観なく相手をありのままに受け入れる心 (注2)先入主:先入観 (注3)畏怖:おそれ (注4)ギクシャク:物の動き、人の言動、人間関係が円滑でないさま