ロシア軍の激しい攻撃が続くマリウポリ郊外のマンションに暮らす祖母は、そんな孫の説得に応じようとはしませんでした。
「あなたたちが無事であれば、私は大丈夫」とだけ、告げました。住み慣れた家から離れたくないというのが、その理由です。たとえ、窓を揺らすような音を聞き続けることになったとしても。
マリウポリを離れた孫のワレリー・コロトコフさん(22)
「祖母が故郷に残ったことは残念です。ただ、その決断を尊重するしかありませんでした」
▼「いますぐ医療支援が必要だ」・・・34% ▼「衛生用品の支援が必要だ」・・・75% ▼「食料支援が必要だ」・・・91% (「ヘルプエイジ・インターナショナル」調べ 2022年3月4日)
9割以上を占める「避難したくない/今の場所にとどまりたい」と答えた人は、自発的に残っている人ばかりではありません。 支援団体は、体の自由が利かず、避難できない人も多く含まれると分析しています。
「高齢者たちが避難したがらない理由には、ふるさとへの愛着もありますが、動きたくても動けないという事情があります。適切な避難所で、適切なサポートがあればいいのですが、残念ながら、戦闘はやまず、状況は悪くなる一方です」 東部ではロシア軍の攻勢が続き、医療支援・衛生用品・食料支援への需要は、さらに高まっているのは間違いありません。 支援団体は、多くの高齢者が戦火にさらされている上、食料や医薬品の不足、たび重なる避難による疲労で、体調の悪化に悩まされているとみています。
足に重い障害があり、少しの距離でも歩いて移動するには時間がかかります。ペースメーカーをつけているため、心臓に負担をかけないように血圧を下げる薬も欠かせません。街を離れるための数時間の移動は、ロシア軍の攻撃と容体の急変という二重のリスクを背負うことになるのです。
去年、母親が亡くなってからは、父ウラジーミルさんは独居生活に。2週間に1回は父親の元を訪れ、身の回りの世話をしていました。 また近所の人たちも、外に出かけるのが難しいウラジーミルさんのために、食料や薬などの買い出しを手伝ってくれていました。生活には、周りの人のサポートが欠かせません。 しかしロシア軍の侵攻で、ナターシャさん自身も地下シェルターで避難生活を余儀なくされます。父親を安全な場所に退避させようとも考えましたが、ロシア軍の激しい攻撃が続くハルキウに迎えに行くことは現実的ではありません。 ナターシャさんは、父の家の近くに住む親戚に「父親を車に乗せて連れ出してもらえないか」と相談しました。しかし、もしも車が攻撃を受けて動かなくなってしまえば、父は1人で歩くことはできません。 ウラジーミルさん自身も長距離の移動で体調が悪化するのではないかという不安を感じていました。結局、避難を諦めざるをえませんでした。
手元に残っている薬は、3月末時点ですでに約2週間分しか残っていませんでした。 当時、父親はナターシャさんに電話で悲痛な思いを伝えていました。
「薬局には全然、必要なものがないんだ。今後、私が飲んでいる薬が手に入るかどうかわからない。さみしくて、とても不安だよ」 4月に入って、父親との唯一の連絡手段だった電話は、とうとう通じなくなりました。
「父は孤立無援の状態で、毎晩のように砲撃や空爆にさらされています。父は歩くのが本当につらいのです。あまりにも残酷です。電話で父は“なんとかしてほしい”と訴え続けました。薬なしでどうやって生き延びることができるのでしょうか。父は身も心も極限の状態まで追い詰められています。この恐ろしい事態を止めるには、世界中のすべての人々の努力と支援が必要なのです」
さまざまな国際団体や民間団体が各地で支援にあたっていますが、比較的情勢が安定している西部と、ロシア軍の攻撃が続いている東部や南部とでは、活動状況は地域によって大きく異なるのが実情です。 支援団体は、戦闘の状況やスタッフの安全確保の観点などから「現時点では東部での支援は難しい」としています。 最も支援を必要としている“避難弱者”=高齢者たちに支援の手を差し伸べられないジレンマが続いています。 (国際部・山本健人、栄久庵耕児)
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