きょうの式典 4年ぶりに先着の一般参列者席
午前8時から平和公園で行われる平和記念式典には、被爆者や遺族の代表をはじめ、岸田総理大臣のほか、アメリカやウクライナといったおよそ110の国の大使などが参列します。
ことしは4年ぶりに、新型コロナウイルスの対策で設置が見送られてきた先着の一般参列者席が設けられました。
被爆者の平均年齢 85歳を超える
式典では、この1年に亡くなった人や死亡が確認された人、あわせて5320人の名前が書き加えられた33万9227人の原爆死没者名簿が原爆慰霊碑に納められます。
原爆が投下された午前8時15分には、参列者全員で黙とうをささげます。
原爆投下から78年がたち、被爆者の平均年齢は85歳を超えました。高齢化が進む被爆者たちの悲惨な体験や核兵器の廃絶を願う声をどのように引き継いで未来に伝え続けていくのか。ロシアによるウクライナへの軍事侵攻などにより、核の脅威が高まる今こそ、問われています。
被爆地・広島はきょう1日、犠牲者を追悼する祈りに包まれるとともに、核兵器のない世界の実現を国内外に発信することになります。
ことし5月には歴史的な広島サミット
広島ではことし5月、G7サミットが開かれました。核保有国のアメリカ、フランス、イギリスをはじめとする各国の首脳が原爆慰霊碑に献花する様子は国内外に発信され、歴史的な出来事となりました。
ただ、被爆者からは核兵器の廃絶に向けた具体的な動きにはつながらなかったという声もあがっています。
広島市の松井市長は平和宣言で、G7広島サミットを振り返りながら、各国の為政者に核抑止論からの脱却を促すことの重要性を訴えるとしています。
被爆者 遺族 それぞれの祈り きょうの言葉
広島に原爆が投下されて78年となる6日、広島市の平和公園には夜明け前から被爆者や遺族が訪れ、祈りをささげていました。
“サミットには歴史的意義があると思ったが…”
爆心地から6キロの地点で祖母が被爆した、広島市東区に住む47歳の被爆3世の男性は「広島市民として何不自由なく生活できているのも平和であることが根本にあり、きょうの平和がどうしてあるのか見つめ直し、平和の尊さを認識すべきだと思います。祖母や原爆で亡くなった人のことを思うと無念で悲しくなります。5月のG7広島サミットではアメリカが献花をしたことは歴史的な意義があると思いましたが、原爆を正当化する考えを根本的に払拭しないと真の平和は訪れないと思っています」と話していました。
”祖母は一度も被爆の話をしなかった”
祖母が被爆したという広島市に住む72歳の男性は「被爆した祖母は、悲しい思いがあったからだと思うが、一度も被爆したという話をしなかった。ことしはG7広島サミットが開かれ、原爆について考えることがなかなかなかった海外の人にも関心を持ってもらえたと思う。今後、戦争のない世界になっていってほしい」と話していました。
“『過ちは繰り返しませぬから』ということばは…”
4歳の時に広島市内で被爆したという82歳の女性は「ロシアとウクライナの戦争で犠牲者がたくさん出ているが、自分には関係のないと思う人がいる。『過ちは繰り返しませぬから』ということばは広島に残っている人だけではなくて、全世界に生きている人に関係のあることばだと思う」と話していました。
“叔母は『トマトを食べたい』と言って亡くなった”
叔母を原爆で亡くした広島市内の64歳の女性は「トマトが大好物だった叔母が『トマトを食べたい』と言って亡くなっていったという話を聞き、ことしもトマトをお供えしました。戦争を語り継ぐ人たちが年々減っているのは課題だが、わたしが平和を願うことはできると思うので、今後も願っていきたい」と話していました。
“被爆して亡くなった母に『元気でやっています』”
広島市西区の79歳の被爆者の女性は「私が被爆したのは1歳の時だったので当時のことはよく覚えていませんが、この街には原爆の記憶があると思うとむごいことだと感じます。被爆して亡くなった母に『元気でやっています』ということを伝えるためにきょうは祈りました。ウクライナ侵攻が続いていますが核兵器が使われることがないように願っています」と話していました。
“名前の分からない人の遺骨にも祈りを”
平和公園のなかにある原爆供養塔を訪れた広島市西区に住む74歳の男性は「原爆供養塔には名前が分からない人の遺骨も納められていて、そういう人たちにも祈りを捧げようと思い、訪れた。ことしはG7広島サミットがあったこともあり、世界中が平和になればいいと願った」と話していました。