続いて、「憲法上のお立場から国の制度に関わることを直接おっしゃるわけにはいかない中で、退位に代わりうる公務の削減や摂政の制度は必ずしも自分の気持ちに沿わないと述べられていて、それを引けば、残るのは退位しかないということになる」と述べ、天皇陛下のお言葉は、退位の意向がにじむものだったと振り返りました。
渡辺さんはまた、天皇陛下が「天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした」と述べられたことに触れ、「天皇陛下と国民との関係で言えば、信頼と敬愛の念がすべての根底になっていて、それが相互関係となるのがいちばん望ましい姿だと思う」と語りました。
そして、天皇陛下が、お言葉全体を「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じる」と締めくくられたことについて、「少子・高齢化が進む中で、皇室が国民一人一人と心を通わす関係が常に続いていくよう、これからみんなでいろいろ考えてほしいと問題提起をされた」と述べました。
渡辺さんは、さらに、自分自身がお言葉の中で大事だと思った点を挙げ、冒頭の「二年後には、平成三十年を迎えます」という部分について、「あえて触れられたということは、視野に入れてほしいということなのだろう。つまり、何年もかけてこの問題をやってくれということではないのだと思う」と話しました。
また、「わが国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ」と述べられた部分を取り上げ、「天皇の退位は、皇室の歴史において例外的なことではなかったということを、間接的におっしゃっているのではないかと思う」と語りました。
天皇陛下は、7年前には「参与」らに退位の意向を表されていましたが、渡辺さんは、当時、天皇陛下の意向を初めて耳にした時のことを回想し、「正直に言えば、俗な言葉ですけど、ピンとこなかったというか、えっ、て。そのことを自分であとで考えて、初めてこういうことなのかと思った感じです。まさに明治以降なかったことで、そういうことがあるかもしれないと考えたこともなかった」と話しました。
また、天皇陛下が意向を示されて以降、再考を促してもお気持ちの変わる余地はなかったとして、「何を申し上げても全く変わらなかった。お怒りになられたわけでもない。悲しまれたわけでもない。たんたんと、ただいつまでたってもそのとおりという感じだった」と振り返りました。
そして、「天皇陛下は、1つのことを言い出すまでにじっくり考え、いったん言い出されたら簡単には変更されない」と話し、民間出身の皇后さまとの結婚や葬儀の在り方の見直しも挙げたうえで、「今度は仕事を途中で退くという非常に大きな事だ。天皇陛下の人生にとって大事な3つのことについて、それぞれ自分で言い出して、それを貫徹されている」と述べました。
表明されたお気持ちとは
天皇陛下は去年の8月8日、10分余りに及ぶビデオメッセージで、退位の意向が強くにじんだお気持ちを表明されました。この中で天皇陛下は、はじめに天皇の立場上、今の皇室制度に具体的に触れることは控えるとしたうえで、「社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、個人として、これまでに考えて来たことを話したい」と述べられました。
そして、高齢による体力の低下を感じるようになったと話し、「次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています」と胸の内を語られました。
続いて、天皇陛下は、天皇の高齢化に伴う対応について言及し、公務を限りなく減らしていくことには無理があるという考えを示されました。また、天皇の行為を代行する摂政を置いた場合、天皇が、求められる務めを十分に果たせぬまま、生涯、天皇であり続けることになるとして、否定的な考えを表されました。天皇陛下が表明されたお気持ちは退位の意向が強くにじむもので、最後に、「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じる」として国民に理解を求められました。
宮内庁は、お気持ち表明の直後に、天皇陛下のお言葉について、「憲法上の立場を踏まえ個人としての心情を述べられた」と説明しました。その後、「内容については、天皇陛下の憲法上の立場を踏まえたご発言とする必要があるので、内閣官房と協議をした」と説明し、お気持ちの表明という天皇陛下の行為については、「公的な行為という位置づけで、最終的には内閣が責任を持つ性格のもの」という認識を示しています。
また、天皇陛下も去年12月の記者会見で、「天皇としてのみずからの歩みを振り返り、この先の在り方、務めについて、ここ数年考えてきたことを内閣とも相談しながら表明しました」と述べられています。
象徴としての歩み
天皇陛下は、今の憲法の下で初めて即位し、以来象徴として望ましい天皇の在り方を求め続けられてきました。平成元年の即位にあたっての記者会見では、「憲法に定められた天皇の在り方を念頭に置き、天皇の務めを果たしていきたい」としたうえで、「現代にふさわしい皇室の在り方を求めていきたい」と述べられました。
平成3年、長崎の雲仙・普賢岳の噴火災害では、そうした天皇陛下の考えが目に見える形で示されました。皇后さまとともに被災地を訪れ、避難所の板張りの床に膝をついて、被災者一人一人に同じ目の高さで話しかけられたのです。その後も阪神・淡路大震災や東日本大震災など、大規模な災害が起きるたびに被災地を訪れ、被災した人たちに心を寄せられてきました。
また、障害者や高齢者の施設を訪れるなど、社会で弱い立場にある人たちに寄り添われてきました。こうした活動について天皇陛下は、平成11年、即位10年に際しての記者会見で、「障害者や高齢者、災害を受けた人々、あるいは社会や人々のために尽くしている人々に心を寄せていくことは、私どもの大切な務めである」と述べられました。
そして後に、「天皇の務めには、日本国憲法によって定められた国事行為のほかに、天皇の象徴という立場から見て、公的に関わることがふさわしいと考えられる象徴的な行為という務めがあると考えられます」と話されました。
こうした務めについて、天皇陛下は、「戦後に始められたものが多く、平成になってから始められたものも少なくありません。社会が変化している今日、新たな社会の要請に応えていくことは大切なことと考えています」と述べられていました。
天皇陛下は、「昔に比べ、公務の量が非常に増加していることは事実です」としながらも、「国と国民のために尽くすことが天皇の務めである」として、数多くの公務を一つ一つ大切に務められてきました。