気持きも表明ひょうめいから半年はんとし もと侍従じじゅうちょう退位たいい意向いこう問題もんだい提起ていき

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Feb 8, 2017 19:02
Furigana
Japanese newspaper
去年きょねん8月はちがつ天皇てんのう陛下へいかがビデオメッセージで退位たいい意向いこうがにじむお気持きもちを表明ひょうめいされてから、はちにち半年はんとしになります。これにわせて、長年ながねん天皇てんのう皇后こうごうりょう陛下へいかつかえたもと侍従じじゅうちょう渡辺わたなべまことさんがNHKえぬえいちけいのインタビューにおうじ、天皇てんのう陛下へいかのお言葉ことば振り返ふりかえって「皇室こうしつ国民こくみんいちにんいちにんこころかよわす関係かんけいつねつづいていくよう問題もんだい提起ていきをされた」とべました。渡辺わたなべさんは、平成へいせいはちねんからいちぜろねんあまりにわたって、りょう陛下へいか側近そっきんトップである侍従じじゅうちょうつとめ、現在げんざい皇室こうしつ重要じゅうよう事項じこう相談そうだんやく参与さんよ」をつとめています。渡辺わたなべさんは、天皇てんのう陛下へいか去年きょねん8月はちがつはちにちのお言葉ことばで、「次第しだいすす身体しんたいおとろえを考慮こうりょするとき、これまでのように全身ぜんしん全霊ぜんれいをもって象徴しょうちょうつとめをたしていくことがむずかしくなるのではないかとあんじています」とべられたことについて、「天皇てんのう陛下へいかは、ひとひとつの仕事しごと誠心せいしん誠意せいいなさっているので、行事ぎょうじなどでちょっとした思い違おもいちがいがあったりすると、非常ひじょうにそうかんじられるのだとおもう」とはなしました。

つづいて、「憲法けんぽうじょうのお立場たちばからくに制度せいどかかわることを直接ちょくせつおっしゃるわけにはいかないなかで、退位たいいわりうる公務こうむ削減さくげん摂政せっしょう制度せいどかならずしも自分じぶん気持きもちに沿わないとべられていて、それをけば、のこるのは退位たいいしかないということになる」とべ、天皇てんのう陛下へいかのお言葉ことばは、退位たいい意向いこうがにじむものだったと振り返ふりかえりました。

渡辺わたなべさんはまた、天皇てんのう陛下へいかが「天皇てんのうとして大切たいせつな、国民こくみんおもい、国民こくみんのためにいのるというつとめを、人々ひとびとへのふか信頼しんらい敬愛けいあいをもってなしたことは、しあわせなことでした」とべられたことにれ、「天皇てんのう陛下へいか国民こくみんとの関係かんけいえば、信頼しんらい敬愛けいあいねんがすべての根底こんていになっていて、それが相互そうご関係かんけいとなるのがいちばんのぞましい姿すがただとおもう」とかたりました。

そして、天皇てんのう陛下へいかが、お言葉ことば全体ぜんたいを「象徴しょうちょう天皇てんのうつとめがつね途切とぎれることなく、安定あんていてきつづいていくことをひとえにねんじる」とめくくられたことについて、「少子しょうし高齢こうれいすすなかで、皇室こうしつ国民こくみんいちにんいちにんこころかよわす関係かんけいつねつづいていくよう、これからみんなでいろいろかんがえてほしいと問題もんだい提起ていきをされた」とべました。

渡辺わたなべさんは、さらに、自分じぶん自身じしんがお言葉ことばなか大事だいじだとおもったてんげ、冒頭ぼうとうの「ねんには、平成へいせいさんじゅうねんむかえます」という部分ぶぶんについて、「あえてれられたということは、視野しやれてほしいということなのだろう。つまり、なんねんもかけてこの問題もんだいをやってくれということではないのだとおもう」とはなしました。

また、「わが国わがくになが天皇てんのう歴史れきしあらためて振り返ふりかえりつつ」とべられた部分ぶぶん取り上とりあげ、「天皇てんのう退位たいいは、皇室こうしつ歴史れきしにおいて例外れいがいてきなことではなかったということを、間接かんせつてきにおっしゃっているのではないかとおもう」とかたりました。

天皇てんのう陛下へいかは、ななねんまえには「参与さんよ」らに退位たいい意向いこうあらわされていましたが、渡辺わたなべさんは、当時とうじ天皇てんのう陛下へいか意向いこうはじめてみみにしたときのことを回想かいそうし、「正直しょうじきえば、ぞく言葉ことばですけど、ピンとこなかったというか、えっ、て。そのことを自分じぶんであとでかんがえて、はじめてこういうことなのかとおもったかんじです。まさに明治めいじ以降いこうなかったことで、そういうことがあるかもしれないとかんがえたこともなかった」とはなしました。

また、天皇てんのう陛下へいか意向いこうしめされて以降いこう再考さいこううながしてもお気持きもちのわる余地よちはなかったとして、「なに申し上もうしあげてもまったわらなかった。おいかりになられたわけでもない。かなしまれたわけでもない。たんたんと、ただいつまでたってもそのとおりというかんじだった」と振り返ふりかえりました。

そして、「天皇てんのう陛下へいかは、ひとつのことを言い出いいだすまでにじっくりかんがえ、いったん言い出いいだされたら簡単かんたんには変更へんこうされない」とはなし、民間みんかん出身しゅっしん皇后こうごうさまとの結婚けっこん葬儀そうぎ在り方ありかた見直みなおしもげたうえで、「今度こんど仕事しごと途中とちゅう退しりぞくという非常ひじょうおおきなことだ。天皇てんのう陛下へいか人生じんせいにとって大事だいじみっつのことについて、それぞれ自分じぶん言い出いいだして、それを貫徹かんてつされている」とべました。

表明ひょうめいされたお気持きもちとは

天皇てんのう陛下へいか去年きょねん8月はちがつはちにちいちぜろふんあまりにおよぶビデオメッセージで、退位たいい意向いこうつよくにじんだお気持きもちを表明ひょうめいされました。このなか天皇てんのう陛下へいかは、はじめに天皇てんのう立場たちばじょういま皇室こうしつ制度せいど具体ぐたいてきれることはひかえるとしたうえで、「社会しゃかい高齢こうれいすすなか天皇てんのうもまた高齢こうれいとなった場合ばあい、どのような在り方ありかたのぞましいか、個人こじんとして、これまでにかんがえてたことをはなしたい」とべられました。

そして、高齢こうれいによる体力たいりょく低下ていかかんじるようになったとはなし、「次第しだいすす身体しんたいおとろえを考慮こうりょするとき、これまでのように全身ぜんしん全霊ぜんれいをもって象徴しょうちょうつとめをたしていくことが、むずかしくなるのではないかとあんじています」とむねうちかたられました。

つづいて、天皇てんのう陛下へいかは、天皇てんのう高齢こうれいともな対応たいおうについて言及げんきゅうし、公務こうむかぎりなくらしていくことには無理むりがあるというかんがえをしめされました。また、天皇てんのう行為こうい代行だいこうする摂政せっしょういた場合ばあい天皇てんのうが、もとめられるつとめを十分じゅうぶんたせぬまま、生涯しょうがい天皇てんのうでありつづけることになるとして、否定ひていてきかんがえをあらわされました。天皇てんのう陛下へいか表明ひょうめいされたお気持きもちは退位たいい意向いこうつよくにじむもので、最後さいごに、「象徴しょうちょう天皇てんのうつとめがつね途切とぎれることなく、安定あんていてきつづいていくことをひとえにねんじる」として国民こくみん理解りかいもとめられました。

宮内庁くないちょうは、お気持きも表明ひょうめい直後ちょくごに、天皇てんのう陛下へいかのお言葉ことばについて、「憲法けんぽうじょう立場たちばまえ個人こじんとしての心情しんじょうべられた」と説明せつめいしました。その後そのご、「内容ないようについては、天皇てんのう陛下へいか憲法けんぽうじょう立場たちばまえたご発言はつげんとする必要ひつようがあるので、内閣ないかく官房かんぼう協議きょうぎをした」と説明せつめいし、お気持きもちの表明ひょうめいという天皇てんのう陛下へいか行為こういについては、「公的こうてき行為こういという位置いちづけで、最終さいしゅうてきには内閣ないかく責任せきにん性格せいかくのもの」という認識にんしきしめしています。

また、天皇てんのう陛下へいか去年きょねん12月じゅうにがつ記者きしゃ会見かいけんで、「天皇てんのうとしてのみずからのあゆみを振り返ふりかえり、このさき在り方ありかたつとめについて、ここすうねんかんがえてきたことを内閣ないかくとも相談そうだんしながら表明ひょうめいしました」とべられています。

象徴しょうちょうとしてのあゆ

天皇てんのう陛下へいかは、いま憲法けんぽうしたはじめて即位そくいし、以来いらい象徴しょうちょうとしてのぞましい天皇てんのう在り方ありかたもとつづけられてきました。平成へいせい元年がんねん即位そくいにあたっての記者きしゃ会見かいけんでは、「憲法けんぽうさだめられた天皇てんのう在り方ありかた念頭ねんとうき、天皇てんのうつとめをたしていきたい」としたうえで、「現代げんだいにふさわしい皇室こうしつ在り方ありかたもとめていきたい」とべられました。

平成へいせいさんねん長崎ながさき雲仙うんぜん普賢岳ふげんだけ噴火ふんか災害さいがいでは、そうした天皇てんのう陛下へいかかんがえがえるかたちしめされました。皇后こうごうさまとともに被災ひさいおとずれ、避難ひなんしょ板張いたばりのゆかひざをついて、被災ひさいしゃいちにんいちにんおなたかさではなしかけられたのです。その後そのご阪神はんしん淡路あわじ大震災だいしんさい東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさいなど、だい規模きぼ災害さいがいきるたびに被災ひさいおとずれ、被災ひさいしたひとたちにこころせられてきました。

また、障害しょうがいしゃ高齢こうれいしゃ施設しせつおとずれるなど、社会しゃかいよわ立場たちばにあるひとたちに寄り添よりそわれてきました。こうした活動かつどうについて天皇てんのう陛下へいかは、平成へいせいいちいちねん即位そくいいちぜろねんに際にさいしての記者きしゃ会見かいけんで、「障害しょうがいしゃ高齢こうれいしゃ災害さいがいけた人々ひとびと、あるいは社会しゃかい人々ひとびとのためにくしている人々ひとびとこころせていくことは、わたしどもの大切たいせつつとめである」とべられました。

そしてに、「天皇てんのうつとめには、日本にっぽんこく憲法けんぽうによってさだめられた国事こくじ行為こういのほかに、天皇てんのう象徴しょうちょうという立場たちばからて、公的こうてきかかわることがふさわしいとかんがえられる象徴しょうちょうてき行為こういというつとめがあるとかんがえられます」とはなされました。

こうしたつとめについて、天皇てんのう陛下へいかは、「戦後せんごはじめられたものがおおく、平成へいせいになってからはじめられたものもすくなくありません。社会しゃかい変化へんかしている今日きょうあらたな社会しゃかい要請ようせいこたえていくことは大切たいせつなこととかんがえています」とべられていました。

天皇てんのう陛下へいかは、「むかしくらべ、公務こうむりょう非常ひじょう増加ぞうかしていることは事実じじつです」としながらも、「くに国民こくみんのためにくすことが天皇てんのうつとめである」として、数多かずおおくの公務こうむひとひと大切たいせつつとめられてきました。

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