「期待」といってもインフレを心待ちにするわけではなく、expectationのもう1つの意味である「予想」するということです。「インフレ予想」と言いかえてもよいかもしれません。
今回の円安のきっかけとなったのは、8月26日にジャクソンホールで行われたFRB・パウエル議長の講演でしたが、この中でも「インフレ期待」ということばが何度も使われていました。
「ひとしきり高い水準のインフレが続くと、より高い“インフレが続くという期待”が定着する可能性が高くなる」 「1970年代、インフレ率の上昇に伴って“インフレ率が高いという期待”が家計や企業での経済的な意思決定に定着してしまった」 「インフレはみずからを餌にしている。このためより安定した、より生産的な経済に戻るための仕事としては、“インフレの期待”に支配されている状態を打ち破ることでなければならない」(ボルカー元FRB議長のことばを引用) この講演でパウエル議長が強調したのは、将来インフレが高止まりするという「インフレ期待」がひとたび定着すると、さらに物価が上がる悪循環に陥るおそれがあるということです。 ここでパウエル議長は「将来のインフレに対する国民の期待が長い時間をかけてインフレ・パスを設定するうえで重要な役割を果たし得る」と述べ、インフレをコントロールするうえで、「インフレ期待」がいかに重要な概念かを強調しています。
それが「期待インフレ率」(「予想インフレ率」とも言います)という指標です。市場関係者や消費者、企業が予測する、将来の物価上昇率のことです。 例えば今100円の商品が、来年105円に値上がりすると予測すれば、1年後の期待インフレ率は5%となります。 将来の予測値であるので、実際の物価上昇率・インフレ率より先行して動くという特徴があり、パウエル議長のFRBだけでなく、各国の中央銀行が金融政策を判断するための重要な指標と位置づけています。 期待インフレ率をもとに、インフレがさらに進むという見方が広がると、中央銀行が金融引き締めをさらに強めるという連想が働きます。 これをアメリカのケースで見ると、 期待インフレ率の上昇→FRBの金融引き締め強化→ドル高円安 という流れになり、市場関係者にとって期待インフレ率の変化は為替の動向を占ううえで重要な指標となっています。
代表的なものとして、アメリカの「ミシガン大学消費者態度指数」があります。 この中には、全米500世帯以上の電話調査にもとづいて、1年後、5年後のモノとサービスの価格を予想したデータがあります。ことし6月の速報値では、消費者が予測する5年先の期待インフレ率が3.3%(確報値は3.1%)と、およそ14年半ぶりの高い水準となりました。 この発表の翌週、FRBはおよそ27年半ぶりとなる、0.75%の大幅な利上げを決めています。その後発表された7月と8月の確報値はいずれも2.9%と、足元のガソリン価格の下落などを背景に、いくぶん下落しています。 これについて市場関係者からは、「FRBが急速な利上げを実施している割には下がりきってはいない」という声も聞かれます。
普通国債と物価連動国債の利回りの差という形で算出されます。市場が予測する物価の変動率と言ってもよいかもしれません。
その後は金融緩和を背景に上昇傾向をたどりますが、ロシアのウクライナへの軍事侵攻をきっかけにさらに上昇し、4月21日には、比較するデータがある2003年以降、初めて3%を超えました。 その後、FRBの利上げの影響もあってやや下落しましたが、FRBのパウエル議長がジャクソンホールでの講演で利上げを続ける姿勢を鮮明にしてからも足元は2.5%前後で推移しています。 パウエル議長の講演のあと、ニューヨーク株式市場でダウ平均株価が急落し、外国為替市場では円安が急ピッチで進みましたが、BEIの動きは限定的で、FRBがねらうインフレ期待の低下という形にはなっていません。 インフレ期待を抑え込まねば、さらなるインフレ率の上昇を招くことにもつながりかねない。このことこそがパウエル議長が警戒している点です。 市場関係者は、「FRBが目指すのは、BEIが目に見える形で2%かそれを下回る水準まで低下し、これが一定期間続くという姿だろう。今のBEIの水準を見るかぎり、FRBが金融引き締めの姿勢を変えることは当面ないだろう」と話していました。
ウクライナ侵攻後のエネルギー価格の急騰を受けて、ことし5月にはおよそ7年ぶりに1%を超えました。足元では0.9%前後で推移しています。 この日本のインフレ期待を動かすことになみなみならぬ意欲を見せていたのが日銀の黒田総裁です。黒田総裁は、2013年に就任し、前例のない大規模な金融緩和に踏み切りましたが、当初、2%の物価目標を2年程度で実現するとして次のように語っていました。
ただ、市場関係者からは、「日本のBEIはアメリカのようにはあてにならない」という声も聞かれます。 BEIは普通国債と物価連動国債の利回りの差から算出されますが、長くデフレの状況が続いた日本ではそもそも物価連動国債の需要が乏しく、広く流通していないため、利回りはごく一部の市場関係者の見方に過ぎないという指摘もあります。 さらに、日銀は大規模な金融緩和策で金利の上昇を抑えています。このため市場関係者からは、「BEIがどこまで市場の実態を反映しているのか疑問だ」という声があがっていました。 日銀の関係者に聞いても、「市場の問題もあり、日本のBEIの捉え方は難しい」という答えが返ってきました。 日本のインフレ期待をめぐり、日銀だけでなく市場も、消費者やエコノミストへのアンケート調査や日銀の短観=企業短期経済観測調査などさまざまなデータを通じて動きを見極めようとしていますが、どのデータも一長一短があるというのが現状のようです。 インフレ期待が金融政策を判断するうえで重要な指標となることはアメリカも日本も変わりませんが、その精度をいかに高めるのかということも問われてくると思います。
16日には、コラムでも触れた、消費者を対象に景況感などを調査する、ミシガン大学消費者態度指数が発表されます。期待インフレ率の水準に注目です。
為替動向を占ううえでも重要な指標
測定方法1 アンケート調査
測定方法2 債券市場のデータをもとに
日本のインフレ期待は?
注目予定