ジャニー喜多川さんはアメリカ・ロサンゼルス生まれで、幼いころ家族と日本に帰国したあと、終戦後に再びアメリカに渡り少年時代を過ごしました。
朝鮮戦争で徴兵されたあと日本に戻り、昭和37年、男性アイドルグループ「ジャニーズ」を結成して「ジャニーズ事務所」を設立しました。
「フォーリーブス」や「たのきんトリオ」「シブがき隊」、それに「光GENJI」といったアイドルグループを次々と誕生させたほか、郷ひろみさんや、田原俊彦さん、近藤真彦さんをソロデビューさせるなど、正統派男性アイドルの基礎を築きました。
その後も「SMAP」や「TOKIO」「KinKi Kids」「V6」「嵐」といったアイドルグループを次々とデビューさせ、「ジャニーズ」は男性アイドルを象徴することばとしても定着しました。
音楽プロデューサーや舞台演出家としても活躍し、「最も多くのナンバー1シングル」や「最も多くのコンサート」をプロデュースした人物としてギネス世界記録に認定され、80歳をすぎても所属タレントのミュージカルの演出などを精力的に手がけてきました。
一方で、「自分は裏方に徹するべきだ」という信念を貫いて、メディアを通して素顔や肉声を公表せず、去年1月に放送されたNHKの番組では撮影しないことを条件にインタビューに答え、「なるべくお客様に幸せを感じてもらうショーを作るのが僕の役割だと思います」などと話していました。
ジャニーズ事務所によりますと、ジャニー喜多川さんは先月18日に自宅で体調の異変を訴えて病院に向かおうとしていたところ、意識を失って東京都内の病院に緊急搬送され、9日午後5時前にくも膜下出血のため、亡くなったということです。87歳でした。
NHKインタビューに「幸せ感じるショー作るのが僕の役割」
ジャニー喜多川さんは平成30年1月、カメラで撮影しないことを条件にNHKのインタビューに応じました。
語られたのは、子どもの頃に体験した戦争の記憶や、「ハッピーエンド」へのこだわりでした。
ジャニー喜多川さんは太平洋戦争中、和歌山で空襲に遭い、このときの体験について「防空ごうへ入ろうと思ったら、だめだと言われて、1人で飛び出した。空襲が終わって、朝、防空ごうのほうに戻ってくると死体でいっぱいだった」などと語りました。
昭和37年に「ジャニーズ事務所」を立ち上げたあと目指してきたことについて、「なるべくお客様に幸せを感じてもらうショーを作るのが僕の役割だと思います」としたうえで、「世界には悲しみもあるけれど、僕たちのショーはハッピーエンドで終わります。世界もハッピーエンドであってほしい。ショービジネスに携わる者としての1つの願いです」と思いを語っていました。
また、アイドルにとっていちばん大切なことは何かという問いかけに対しては、「才能があるかどうかは、神様でもわかりません。やりたい気持ちがいちばんです。稽古を見ていても分かります。本当に本気でやるという子はやりますよ」と、やるべきことに真剣に向き合うことの大切さを強調していました。
入院中 病室には所属タレントが次々面会に
ジャニー喜多川さんは先月18日に東京都内の病院に緊急搬送され、解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血と診断されていました。
ジャニーズ事務所によりますと、その後の救命措置によって集中治療室から一般病棟に移り、日々、事務所に所属する年長のタレントから若いジャニーズJr.のメンバーまでが、面会に訪れていたということです。
病室では、新旧さまざまな楽曲を流し、見舞いに訪れたタレントたちがジャニーさんとの思い出を語ったり、ジャニーさんの好物を食べたりしながら、にぎやかに過ごしていたということです。
また、病状が危険な状態に陥ると、タレントたちがジャニーさんに呼びかけ、容体が一時的に回復するということも繰り返しあったということです。
「嵐」の松本潤さんは、ジャニーさんの病状が発表された今月1日、事務所が設けた囲み取材の場で、面会時の様子を語り、「僕たちは入院翌日、19日に5人でジャニーさんのもとにお見舞いに行きました。その後もそれぞれ時間があるときに、なるべくジャニーさんの病室に通っているような現状です。今はジャニーさんが一日も早く元気に回復してくれることを祈っています」と語っていました。
事務所によりますと、通夜と告別式は事務所のタレントと親族だけで行うということで、その後、関係者のためのお別れの会を開く予定だということです。
「時代をつくってくれた人」「今後は誰が…」
ジャニー喜多川さんが亡くなったことについて、東京 渋谷では若者を中心に訃報を惜しむ声が聞かれました。
都内に住む18歳の女子大学生は「私も周りの友達もSMAPが好きで、すごいショックです。ジャニーさんは日本のアイドルをたくさん生み出された偉大な人だと思います。本当にご冥福をお祈りしたいです」と話していました。
22歳の会社員の女性は、「ジャニーズのアイドルを生み出した人が亡くなったことを知ってすごい衝撃でした。ジャニーズは私にとって心のよりどころであり、今後誰が事務所を引っ張っていくのか、すごく気になります」と話していました。
50歳の会社員の男性は、「ジャニーさんは女性だけでなく男にとっても魅力的なアイドルを生み出し、時代をつくってくれた人だと思います。ただただ、残念です」と話していました。
台湾でも速報「日本のアイドルのゴッドファーザー」
アジア各国でもジャニー喜多川さんが育てたアイドルのファンは多く、アイドルグループらがコンサートを開いてきた台湾では、地元メディアがジャニー喜多川さんの死去を相次いで速報で伝えました。
このうち大手新聞の「自由時報」は、ジャニーさんを「日本のアイドルのゴッドファーザー」だとし、「少年隊」や「嵐」などいくつものアイドルグループを育て、ドラマやバラエティ番組で活躍する俳優やタレントを輩出したと功績をたたえました。