妻を亡くした輪島市鳳至町の尾形哲信さん(66)は、倒壊した自宅から結婚指輪を見つけました。
高校生のとき同じクラスだったのをきっかけにつきあい始めた2人は、出会って50年になります。
「本当に苦労させたと思う。奥さんの分まで頑張っていくしかない」
「天井がふぁーっと揺れ始めて」
1月1日、尾形哲信さんは、自宅で家族や息子の友人などと6人で居間に集まって料理を囲んでいました。
ちょうど神棚からお酒を下ろし、集まって乾杯をしたころに、1度目の揺れが来ました。
次の揺れが来るとは思わずにいたところに、2度目の激しい揺れが。
「上を見たら、天井がふぁーっと揺れ始めて」
上から天井が崩れてきて、哲信さんたちは下敷きになりました。
それから30秒たったか、1分たったかわかりませんが、哲信さんの周囲はすこし空間があってわずかに体を動かすことができ、呼吸もできる状態だとわかりました。
みんなはいったいどうなったのか。
真っ暗な中で家族の名前を呼びましたが、誰ひとり返事はありません。
それでもすぐ横に孫が1人いたので、「おい」って言うと「うん」と返事がありました。
「どこか痛いところはないか」と聞くと「ない」と言うので、「じいのとこ来い」と引っ張って、孫を抱きかかえながら、外からの救助を待ちました。
その後、近くにいた息子も呼びかけに応じるようになり、倒れた自宅の隙間から1人ずつ外に助け出されました。
外にいた娘がまわりの人を呼んで助け出してくれたということです。
地震発生から約3時間後、哲信さんを最後に全員が外に出ることができました。
「『なんでや』としか思えなかった」
ところが哲信さんが外に出ると、思ってもいない光景が目に飛び込んできました。
妻の晶子さん(65)が、道路に敷かれた布団の上で意識がない状態で横たわっていたのです。
哲信さんによりますと、晶子さんの顔には少し傷があったものの、いつもと変わらない顔をしていたということです。
しかしその後、死亡が確認されました。
夫の哲信さん
「警察の調べでは圧迫死で、短時間で亡くなったと聞いて、痛みもなかったのかなと思います」
「自分よりも子どもよりも孫」
哲信さんと晶子さんは、高校3年生のとき同じクラスだったのをきっかけに交際を始め、22歳で結婚しました。
哲信さん
「人から恨まれることはない人で、我慢強い。これと思ったら夢中になって、料理作るのも得意やったし。自分よりも子どもよりも孫、という感じやった」
子どもや孫たちには、工夫を凝らした料理をふるまい、喜ばせるのが好きだったといいます。
金沢市内で暮らしている息子の唯親さん(36)は、目に涙を浮かべながら、こう話していました。
息子の唯親さん
「料理をアレンジして家族の好みの味で作ってくれました。でもいちばん好きだったのは、実家に帰ると作ってくれるカレーとハンバーグです。誰にでも優しくて、頑張り屋さんな母でした」
「もし会えたら…」
地震のあと、哲信さんが倒壊した自宅に戻ると、2人の結婚指輪が見つかったということです。
輪島塗りの職人として駆け出しの時期だった結婚当時を振り返り、哲信さんは。
哲信さん
「一緒におってやっぱ楽しかったもんでね。プロポーズは『結婚するか』と言いました。当時は輪島塗りの職人として弟子入りをしたばかりで、ほとんど給料がない中、それでも結婚してもいいのかなと思いながら。本当に、苦労はさせたと思う」
2人は「一緒に80代まで生きよう」と話すこともあったということです。
哲信さん
「『20年は一緒に楽しめるな』としか思とらんもんで。家のローンも4年前ぐらいに終わったので、これから2人で楽しんで、と考えてたけど、それも全然できなくなったし。自分1人でどうしようかなというのはまだ考えていない。奥さんに頼って生きてきたので」
「やっぱり、こっちは奥さんの分も、やっぱ頑張っていくしかない。もしまた会えたら『また、俺と一緒にならんかいえ?』って聞くかもしれん。会えたら」