元旦、息子と2人で新年の乾杯をした母。うれしそうな表情を見せていました。
地震が来たのはその数時間後でした。
1回目の揺れのあと、2回目の激しい揺れで、直前まで母といた母屋が崩れ落ちていました。
「いまも夢か現実かわからず、別の世界に来てしまったような感じです」(息子の勉さん)
母と2人で20年以上
母親との2人暮らしが始まったのは、20年以上前でした。
石川県珠洲市の茨山勉さん(70)は高校を卒業後、実家を離れ金沢市内で就職しましたが、高齢の両親が心配で、地元に帰ることを決めました。
すぐに父親が亡くなり、母親と2人だけの生活になりました。
地震が起きたのは、勉さんが実家の離れで夕飯の支度をしていた時でした。
隣接する母屋の1階にある母の美智子さん(96)の部屋へ行き、「そば、食べるか」と声をかけた直後、1回目の揺れが来ました。
このときは縦揺れで大きな被害はありませんでしたが、ついたままだったストーブが気になって美智子さんの部屋から離れの2階に向かいました。
安全を確認し、美智子さんのもとに戻ろうと階段を降りていたところで2回目の揺れに襲われました。
「1人ではどうにもならない…」
手すりをつかんで必死に揺れに耐えていた時、突然、周囲が明るくなったように感じたといいます。
母屋で遮られて入ってこないはずの日光が窓からさし込んできたのです。
揺れがおさまり急いで階段を降りると、母屋につながる扉が壁と一緒に抜け落ちていて崩れ落ちた母屋が目に飛び込んできました。
美智子さんを捜すために慌てて瓦や柱などを取り除こうとしましたが、「1人ではどうにもならなかった」と振り返ります。
2日後、消防の捜索で、美智子さんが自分の部屋の近くで倒れているのが見つかりました。
すでに亡くなっていましたが、勉さんにはきれいな顔で、苦しんだ様子もなかったように見えたということです。
「優しい母ちゃんだった」
2人はともに畑仕事に精を出し、数年前に美智子さんが認知症と診断されてからは、不慣れだった料理にも励み、つつましくも穏やかな日々を過ごしてきました。
そんな2人の日常を彩ったのはお酒だったといいます。
元旦にも、新年を祝うため美智子さんと2人、日本酒で乾杯し、美智子さんは「ことしで97歳だ」とうれしそうにしていたといいます。
「優しい母ちゃんだった」美智子さんとの別れから7週間余り。
いまも倒壊した母屋はほとんど当時のままで、勉さんはひとり、崩れなかった離れに残っています。
もう一緒にお酒を飲むことはできなくても、美智子さんと過ごしたこの場所でこれからも暮らしていきたいと考えているからです。
勉さん
「いまも夢か現実かわからず、別の世界に来てしまったような感じですが、これも運命だったのだと思います。ほかに行くところもないし、これからもここで暮らしたいと思っています」