真鍋さんは昭和6年に愛媛県旧新宮村、今の四国中央市新宮町に生まれ、当時の新宮尋常高等小学校、現在の新宮小学校を卒業しました。
全校児童54人の新宮小学校では先生が授業で子どもたちに、「真鍋さんは新宮小学校の卒業生だったんですよ」と話し、先輩の快挙と研究の業績を伝えました。
そして、「皆さんも好きなものがあれば、いずれ花開くかも知れません。家に帰ったら家族にも真鍋さんの話を聞いてみてください」と呼びかけました。
5年生の女子児童は「自分の先輩に当たる人がノーベル賞をとったのはすごいと思いました。自分は絵を描くのが好きなので、もっと頑張りたいし、ほかのことにもチャレンジしたいです」と話していました。
教員のほとんどは真鍋さんが卒業生とは知らなかったということですが、昭和19年の卒業名簿に真鍋さんの名前が残っていました。
新宮小・中学校の永尾周三教頭は「ニュースを聞いてびっくりしましたが、名簿を見て本当にいたんだと実感しました。真鍋さんのように、諦めずに頑張ることを子どもたちに伝えたい」と話していました。
大岡さんは真鍋さんについて、「勉強も優等生で、当時の小学校1年の時からずっとトップクラスだったので尊敬するような感じでした。学校から帰ってからも勉強していた。熱心だった」と当時を振り返りました。 また、「『ボール転がし』というゲームをする時にもひとり、負けるのは悔しいという感じがありました。村の外の中学校に進学してからは話す機会がなかったが、首席で卒業されて東京大学に行ったという話しは聞きました」と、真鍋さんが運動でも負けず嫌いだった一面も思い出していました。 大岡さんは小学校の時の集合写真や20年前の平成13年に地元、四国中央市で再会した時の写真を大切に持っています。 今回、ノーベル賞物理学賞に選ばれたことについて、「地元の誇りでもあるし、これから子どもが少子化で少なくなっているが、大きな希望が沸いてくるのではないかな」と感慨深げに話していました。
小学校時代の同級生 運動でも負けず嫌いだった