象徴する数字がオリンピックの参加標準記録、10秒05を突破した国や地域ごとの人数です。
世界陸連のホームページによりますと、今月22日時点で最も多いのがアメリカの20人。日本はいずれも決勝レースを走った山縣選手、サニブラウン選手、桐生選手、小池選手、それに多田選手の5人で、あのウサイン・ボルトさんを生んだジャマイカと並んで全体の2位に食い込む数字です。
この数字から、今回のレースが、数ある陸上大国の中でも世界屈指の代表選考レースだったことがわかります。
一般的に勝負がかかるレースほどまわりを意識して力むためタイムが遅くなる傾向が強いですが、今回のレースでプレッシャーのかかる大一番で好タイムを出す難しさを改めて思い知らされました。
オリンピックのスタートラインに立った経験がある桐生選手も、全米大学選手権で9秒台を出したサニブラウン選手も自己ベストに遠く及ばない10秒2台後半のタイムで代表を逃しました。 日本短距離陣の強さを象徴するはずだったレースは、大一番で力を出し切ることの難しさを知るものとなったのです。 オリンピックの代表を選ぶ日本選手権は4年に1回で次は3年後。2024年にはパリ大会の代表選考会として開かれます。 日本選手たちがオリンピックの舞台で結果を残していくためには、こうしたプレッシャーのかかるレースの中で一定の結果を残し続ける能力が求められています。 その現実を突きつけられたことが、この歴史的なレースの持つ2つ目の意味でした。日本が真の陸上大国になるために避けては通れない道だったと言えるかもしれません。
大一番の難しさ