この中では「18歳で宮家に上がってから既に80年以上という長い歳月が過ぎ、この度100歳の節目を迎えることができました。現在は、孫や曾孫の成長をとても楽しみとしております。これからも人々の幸せを祈念しつつ、日々を過ごしてまいりたいと存じます」などと記されています。
結婚後は、私自身の皇族としての公務を果たしながら、宮様をお支え申し上げる日々を送っておりました。 こうした中でも家族の思い出となる記録を残したいと思い、家族一人一人の歩みが分かるように写真アルバムを作成したり、5人の子供たちの育児日誌をつけたりと、時間に追われながらも充実した毎日を過ごしておりました。 私が子育てをしておりました時期は、日本社会全体がまだまだ大変な時期でございましたから、いつも宮様を始め多くの方々が私を支えてくださいましたことを、深い感謝の念を抱きつつ思い起こしております。 現在は、孫や曾孫の成長をとても楽しみとしております。 これからも人々の幸せを祈念しつつ、日々を過ごしてまいりたいと存じます。
昭和16年に女子学習院の本科を卒業し、その年の10月、18歳で、昭和天皇の弟の三笠宮さまと結婚されました。
戦時中は空襲によって住まいが全焼し、防空ごうで生活するなど苦難の時期を過ごし、戦後、三笠宮さまが東京大学の研究生として西洋史の研究を始めると、ノートを書き写したり資料の整理をしたりして、支えられたということです。 昭和23年には「母子愛育会」の総裁に就任し、平成22年に退任するまで60年余りにわたって母子保健の向上に力を尽くしたほか、日本赤十字社の名誉副総裁も務められています。 また、三笠宮さまとともにヨーロッパや中東諸国を訪ね、国際親善にも努められました。 百合子さまは、現在も公的な行事に臨んでいて、ことし1月には、新年祝賀の儀や新年一般参賀にも出席し、元気な姿を見せられました。 また、高円宮さまの三女で、孫にあたる守谷絢子さんの子どもなど8人のひ孫に恵まれ、成長を楽しみに過ごされているということです。
Q.最近の百合子さまのご様子は。 A.ご本をお読みになったり、雑誌をお読みになったり、クロスワードパズルをされたり、ジグソーパズルをされたり、机の上でお楽しみになれることを楽しまれたりですとか。 お花見の、桜のきれいな時期にはちょっとドライブで見に行かれたりとか。 野球もお好きでいらっしゃるので、ことしのWBCは遅くまでご覧になったというお話を伺いました。 Q.去年、三笠宮さまの伝記が出版されました。 A.妃殿下(百合子さま)のお申し出で、数年前、殿下(三笠宮さま)がお隠れになられてから1年ちょっとたった時だったかと思いますけれども、殿下の伝記をまとめたいというお話になられて。 私も歴史の研究の道にいたということもございましたので「彬子に手伝わせたい」ということをその時にお話をいただいて。 妃殿下の強い思いというのは強く感じましたし、殿下の足跡をきちんと形にして残したいという思いのお話を伺っておりましたので、これは何としても形にしなければならないと思って、この数年間、必死にまとめたような感じでございます。
A.オーラルストーリーですと、どうしても文書をきれいにして雑味のない形にまとめることも多いと思うのですけれども、孫の私が伺ったこと、近衞のおば(近衞やす子さん)も同席してくださったこともありまして、三笠宮家のふだんの会話ですとか雰囲気がきちんと伝わったらいいなと。 それが皆様、読んで下さる方にも伝わったらいいなという思いで、なるべくむだなところを省かないようにしてまとめました。 妃殿下はふだんから本当に楽しそうにお話をしてくださいますので、聞き取りの中でも笑いがずいぶんとありましたし。 現代のわれわれの価値観で判断してしまいますと、例えば、夜中に殿下が「これ明日の朝までに写しておいてくれ」とおっしゃって、ノートを妃殿下がお写しになるということもすごく亭主関白のように伝わってしまうかもしれないのですけれども、妃殿下はそれを本当におよろこびとして、殿下をお支えになるのはうれしいというお気持ちでやっていらっしゃるので、そういったこともきちんと雰囲気として伝わるといいなというのを心がけて編集をいたしました。 Q.伝記では、百合子さまが軍人であった三笠宮さまの戦争時のエピソードを語られました。 A.妃殿下の口から直接伺ったのが、6、7年前でしょうか。 軽井沢の三笠宮家のご別邸にお伺いした時に、ちょうど終戦記念日の日で、妃殿下が突然「終戦の日はすごく暑くてね」とお話をされて。 「終戦の前日には、青年将校の人が来て、戦争を続けたい側と、もうやめるべきだという殿下と言い合いになって、本当にピストルが飛び交うかもしれないと思うようなとても緊迫した雰囲気だったのよ」というお話を本当にさらりとされました。 妃殿下にとっては、この戦争というものが、日本の歴史の一部であり、ご自身の歴史の一部なんだということをその時に初めて実感しました。 その青年将校は殿下のご同期のとても優秀な方でいらっしゃって、意見があわなくて喧嘩別れになるようなことでしたけれど、別れ際に殿下のお付き武官に「きょう、御所にお上がりにならないように」ということを言い置いて出て行かれて。 それは玉音盤を青年将校たちが奪取する計画があったので、殿下がお巻き込まれにならないようにという心遣いで言い置いて行かれた訳ですけれど「どんなに意見が違ったとしても『同期の桜』として宮さまのことをすごく大切に思っていらっしゃったのよね」というのを妃殿下がその時にお話になられて。 すごく胸が熱くなりました。 「同期の桜」というのは、よく聞く言葉ではありましたけれども、本当に「同期の桜」の話を聞くことはなかなかございませんので、そういったお話を伺えて、殿下がご存命の時にはあまり戦争のお話は殿下ご自身、そんなに積極的になさりたいような感じがございませんでしたので、私自身、ほとんど直接伺ったことがなかったので、今回も殿下がお隠れになってから妃殿下からお話を伺うことがあった時に、殿下からもう少し色々お話を伺っておきたかったなということはいまさらながら思いました。 Q.三笠宮さまと百合子さまの関係は。 A.本当にこの組み合わせ以外はあり得なかったんじゃないかなということは改めて思うところでございます。 貞明皇后が妃殿下をお選びになられた訳ですけども、すごく先見の明がおありになったのだなということを思いますね。 妃殿下はよく「殿下がすごく先進的で、はきはきと色々なことをお決めになって、前へ前へと進んでいかれる方だったから、私がのろのろとおそばにいたことで、ずいぶん宮さまのお仕事であったり、なさりたいことを邪魔してしまっていたと思うのよ」とおっしゃることがあるのですが、「妃殿下がのろのろされていた訳ではなくて、殿下がそう前へ前へといかれる方だからこそ、妃殿下がそうやって穏やかにゆっくりと殿下をお支えになられたからこその三笠宮同妃両殿下でいらっしゃったのだろうなということと思います」というお話を(妃殿下に)強くするのです。 Q.皇室における三笠宮さま、百合子さまの役割について。 A.戦争中に軍人として色々なところに行かれる中で、どうしてもみんなが直立不動で頭を下げて「人間らしいふれあいは戦前はなかった」と殿下がおっしゃっていました。 レクリエーション協会などで、フォークダンスを全国で広めるというご活動をされて、皇族と国民が手を取り合って踊るということは、当時の方々にとってはおそらく想像を超えたことであったと思いますが、両殿下が率先して、本当に小さな町の体育館ですとか公民館とかにもお出かけになられて広げられたということです。 そういった意味で、皇室と国民の距離を縮めるというのをずっと三笠宮殿下はなさってこられたというのは感じますし、それを妃殿下はずっとおそばでお支えになってこられて。 当時はどうしても、男性の方がお仕事に行かれて女性は家庭を守るという世の中である中で、両殿下がおそろいでさまざまなところにお出ましになって、さまざまなご経験をされてということで、女性の役割といいますか、妃殿下としてのお務めを果たされるのは当時は本当に大変なことだったと思うんです。 それをしっかりとぶれずにやってこられたのは、今、振り返ってみると改めてすごいことだったのだなと思います。 Q.百合子さまへの思いは。 A.今もお元気に穏やかにお過ごしなのは、孫としても、本当にこの上なくうれしいことで。 今も(お住まいの)ご本邸にお伺いして、妃殿下にお話を伺ったり、お食事をご一緒する時間というのが本当に私自身、とても幸せで、たくさんのことを何気ない会話の中から教えていただいておりますし、それが私にとって、本当に皇族としても、1人の人間としても、妃殿下が指針のような存在ですので、これからも、たくさんのお話をお伺いさせていただきたいと思っています。
お気持ち述べられた文章 全文
三笠宮妃百合子さまとは
孫の彬子さま「皇族としても 1人の人間としても 指針」
宮内庁によりますと、百合子さまは、東京 港区の赤坂御用地にあるお住まいで健やかに過ごし、午前中には、健康のためテレビ番組の体操などの運動を15分程度、行われているということです。
また、天気のいい日には、車いすで赤坂御用地内を散策し、四季折々の自然を楽しまれているということです。
明治以降の皇族で、100歳を迎えるのは7年前に100歳で亡くなった夫の三笠宮さまに続いて百合子さまが2人目です。
百合子さま 「人々の幸せを祈念」
百合子さまは、誕生日を迎えるにあたって、文書でお気持ちを述べられました。
18歳で宮家に上がってから既に80年以上という長い歳月が過ぎ、この度100歳の節目を迎えることができました。
三笠宮妃の百合子さまは、大正12年6月4日、当時、子爵だった高木正得氏の次女として誕生されました。
三笠宮さまとの間には「ひげの殿下」として知られる三笠宮寛仁さまや桂宮さま、高円宮さまなど3男2女をもうけられました。
三笠宮妃の百合子さまが100歳を迎えられるにあたって、孫の三笠宮彬子さまが先月26日にNHKのインタビューに応じられました。
Q.彬子さまは、三笠宮さまの伝記では百合子さまのオーラルヒストリー(口述史)の聞き手を務められました。
5
4
3
2
1
経営難の中国不動産大手「碧桂園」 2023年は3.8兆円余の赤字
経営難に陥っている中国の不動産大手「碧桂園」は、2023年の最終赤字が日本円で3兆8000億円余りにのぼっていたことを明らかにしました。デフォルト=債務不履行の総額は3兆円を超えているとしていて、厳しい経営が続いています。
Source: NHK
Jan 15, 2025 12:01
【ライブ配信中】石丸伸二氏 地域政党の設立で記者会見
去年の東京都知事選挙で次点となった石丸伸二氏がことし行われる都議会議員選挙に向けて地域政党「再生の道」を立ち上げ今後、公募で候補者を募り、42のすべての選挙区で擁立を目指すことを明らかにしました。会見の様子をライブ配信でお伝えしています。
Source: NHK
Jan 15, 2025 12:01
韓国 ユン大統領の拘束令状再執行に向け 捜査員公邸敷地に入る
韓国のユン・ソンニョル大統領(尹錫悦)への捜査をめぐり、大統領の拘束令状の執行を改めて試みるため、合同捜査本部の捜査員らが15日午前、大統領公邸の敷地に入りました。前回、令状の執行を阻んだ大統領警護庁の対応が焦点となっています。
Source: NHK
Jan 15, 2025 08:01
LA山火事1週間 15日まで風が強まる予報「特に危険な状況」
アメリカ・ロサンゼルス周辺で続く山火事は発生から1週間となりました。現地では被災者への救済措置の手続きなどを行う「災害復興センター」が開設されるなど生活再建に向けた動きも進む一方で、15日にかけて風が強まるとして当局は最高レベルの警戒を呼びかけています。
Source: NHK
Jan 15, 2025 06:01
北九州中学生殺傷事件 容疑者を今週にも精神鑑定へ
北九州市のファストフード店で中学生2人が殺傷された事件で、43歳の容疑者について、検察が今週中にも専門家による精神鑑定を行う方針を固めたことが捜査関係者への取材で分かりました。
Source: NHK
Jan 14, 2025 12:01
北朝鮮 短距離弾道ミサイル数発を発射か 韓国軍合同参謀本部
韓国軍は、北朝鮮が14日午前、日本海に向けて短距離弾道ミサイル数発を発射し、およそ250キロ飛行したと発表しました。北朝鮮による弾道ミサイルの発射は先週6日以来で、韓国軍は警戒と監視を続けています。
Source: NHK
Jan 14, 2025 11:01
東京女子医大 元理事長 側近が手渡しで資金還流か
東京女子医科大学の施設建設をめぐり資金を不正に流出させたとして、大学の元理事長が背任の疑いで逮捕された事件で、元理事長が、大学のアドバイザーを務める建築士の口座にいったん振り込んだ金を、当時の側近の職員に直接受け取らせ、手渡しで自分に還流させていたとみられることが捜査関係者への取材でわかりました。警視庁は金の流れが発覚しないようにしていたとみて調べています。
Source: NHK
Jan 14, 2025 11:01
東京女子医大 元理事長 専用口座新たに作らせ自分に還流か
東京女子医科大学の施設建設をめぐり資金を不正に流出させたとして、大学の元理事長が13日、背任の疑いで逮捕された事件で、元理事長が、大学のアドバイザーを務める建築士に専用口座を作らせて大学から資金を振り込み、自分に還流させていたとみられることが捜査関係者への取材でわかりました。警視庁は還流させる金額などを事前に取り決めていたとみて捜査しています。
Source: NHK
Jan 14, 2025 06:01
自民 政治資金問題 参院政倫審で審査再開へ 実態解明が焦点に
自民党の派閥の政治資金パーティーをめぐる問題で、参議院政治倫理審査会では14日、関係議員の審査が再開されます。派閥からの還付=キックバックが再開された経緯など実態解明につながるかが引き続き焦点です。
Source: NHK
Jan 14, 2025 04:01
【各地の影響】宮崎県で震度5弱 酒店で酒瓶落下 ホテル食器も
午後9時19分ごろ、宮崎県で震度5弱の揺れを観測する地震がありました。各地の影響です。
Source: NHK
Jan 14, 2025 02:01