中学3年生の時に脳腫瘍が見つかります。
子どもが亡くなる病気としては、最も多い小児がんの1つです。
中学3年生の時に脳腫瘍が見つかります。
子どもが亡くなる病気としては、最も多い小児がんの1つです。
最初に診断した医師からは、そう告げられました。
「もう最初に言われたときは正直、諦めました。なんで自分がっていう感じ」
母親の路子さんは、落ち込む息子を励まし続けたといいます。
「ただ、治してやるとしか思いませんでしたね。涙は出ませんでしたし、絶対に治そうと思いました」
もう一度、野球がしたい。
山崎投手は、子どもの脳腫瘍に詳しい医師がいる北海道の病院で手術を受けました。
およそ6時間の手術。腫瘍はすべて取り除くことができました。
「先生にほっぺをたたかれて、そのときに目が少し開いて、先生が『全部取ったよ。野球できるよ』って言ってくれたのが最初でした。すごくうれしかった」
退院直後に、東京の強豪、日大三高に進学。
少しずつ厳しい練習に耐えられるようになりました。
日大三高の準優勝に貢献しました。
その後、明治大学に進み、2015年にドラフト1位でオリックスに入団します。
これまでの経験について、山崎投手はこう振り返ります。
山崎福也投手
「今となっては貴重な体験ができたかなと、支えてくれた周りの方に感謝しています」
日本シリーズでは第2戦と第6戦の2試合に先発しました。
第2戦では、変化球をうまく使ったピッチングでヤクルト打線を抑え、4回無失点。
この試合、先制タイムリーを放ち、投打“二刀流”で存在感を見せました。
日本シリーズの初戦で、オリックスのエース山本由伸投手が左脇腹を痛め離脱。
山崎投手自身はローテーションの関係もあって、実に1か月ぶりの登板でした。
クライマックスシリーズで登板せず、いきなり日本シリーズを迎えましたが、持ち前の“強心臓”が支えました。
「正直、チームの雰囲気はよくなかったです。みんな動揺しているように見えました。いつも由伸に頼っているチームだったので、僕自身はしっかりそこをカバーしたいなというのがありました。日本シリーズという舞台、緊張することはするんですけれど、楽しみの気持ちの方が大きかったです」
「タイムリーを打ったときは『絶対打ってやる、初球から打ってやる』という気持ちで打席に入りました。ことしは、打席に入った方がいいリズムで投げられるという感覚がすごくありました。小さい頃から打撃が好きで自信がありました。投げるのと打つのどっちが好きか迷うくらい好きです」
ヤクルトとの対戦成績は2勝2敗1分け、どちらも日本一へ王手がかかる一戦となりました。
この試合も、ヤクルト打線相手に5回1安打無失点。
エースの不在をカバーする見事なピッチングで、勝ち投手に。
登板した2試合で1点も許さず、オリックス26年ぶりの日本一に大きく貢献しました。
「去年、日本シリーズで悔しい思いをチームみんなでしたので、今年はチームみんなで勝ちに行くという思いだった。勝ててよかった。本当に、正直、できすぎという部分もありましたし、楽しかったというのがいちばんですね。まず、プロ野球界に入って、日本シリーズで投げられるということも想像していなかったし、そこで2回も投げられる楽しさがあった」
多用する理由については…
ロジンの王子様
「もともと汗をかくタイプなんです。きょうの取材も緊張して少し汗かいちゃいます。ロジンバッグを使うと、バッターの嫌がっている反応が見えたので、多めにつけようかなというのが1つの作戦でもあります」
山崎福也投手
「本当にビックリしたのがいちばん。このような貴重な経験させてもらって感謝しています」
これまでも病院を訪問し、病気の子供たちを励ます活動を行ってきた山崎投手。これからも、子どもたちの励みになるようにプレーしていきたいと話しています。
山崎福也投手
「まずは自分自身結果を出してそれをみて勇気づけられるといいなと思って、1イニング1万円の寄付を始めました。子どもたちは、いろいろと苦しい時もありますけれど、前を向いてほしい。僕自身も前を向いていろんな活動をできて支援できるよう頑張ります。まずは、リーグ三連覇、日本一二連覇。チーム全員で。個人としてはローテーションの一角として1年間投げ続けることが目標です」