この中で美帆さんの母親は、「あれから4年経ちました。美帆に会いたいです。会いたくて、会いたくて仕方ありません。時がたてば経つほど会いたい気持ちが増すように思います。でも会えなくて、悲しさや淋しさが押しよせてきます。7月近くになると、毎年、身体も心も重くなります。できていたことができなくなります。とても不安が強くなります。あの年から、私は7月が嫌いになりました」と現在の心境をつづっています。
そして、ことし1月から3月まで開かれた裁判について、「裁判は空しいものでした。私は犯人が間違ったことを認め、亡くなった19人、怪我をした27人に謝ってほしかった。でもそれは無理でした。ただ控訴しなかったのは罪の重さや自責の念が多少なりにもあったのではないか。自分の意見が破綻していたことも多少はわかっていたのではないかとも思います」と振り返っています。
そのうえで、植松聖死刑囚については、「彼はお金では買えないもの、愛情とか思いやりの心、人を大切に思う心、無償の愛のような目では見えない大切なものがわからなかったのではないか、彼は心(気持ち)が成長しないまま、大人になってしまったのではないかと思いました」と記しています。
母親は、犠牲となった19人が匿名となる中、「娘が一生懸命生きていた証を残したい」と、初公判にあわせ、0歳から19歳までの写真とともに、娘の名前を「美帆」さんと明かしました。
このことについて、「裁判と社会に『美帆』の名と写真を4枚出せて良かったと思っています。たくさんの方に覚えて頂けたこと、裁判員の方にもこれまで見えてこなかった被害者のことが少しはわかってもらえたのではないかと思いました。後悔はしていません。たくさんの方に覚えて頂き、その方々が美帆のことを思いだしてくれる時、美帆は生きているわけですから。本当にいろいろな方々に見て頂き、覚えて頂いてありがとうございます」と思いをつづっています。
また、事件が起きた「津久井やまゆり園」について、「やまゆり園が再生を目ざすのではあれば、日本一、いや世界一いい場所だと誰もが思うような、安全で安心な施設にして下さい。切に願っております」と記しています。
そして、最後に、「今、コロナで医療従事者の方への差別があります。感謝しなければならないのに悲しいことが起きています。アメリカでは人種差別で黒人の方が亡くなっています。肌の色が違うだけで同じ人間なのに、なぜ差別されなければならないか。日々悲しくなります。差別は容易になくならないでしょう。でも少しでも減ればいいと思います。差別をされる方も悲しいし、人を差別して本当に気持ちのいい人はいないと思います。これからどうしたらいいのか、日々考えながら過ごしています。心穏やかに過ごせる社会になればいいと願っています」と結んでいます。