A 日本では周囲と協調するように教育され、年長者に対して従順(じゅうじゅん)に、調和状態を壊さないようにする。しかし実際は、人間は独自の感覚や思考を持つのが当然で、他者と考え方が異なるのは自然なことなのである。これを無理に押さえつけようとすると、心理状態が正常に保てない場合がある、。考えの異なる他人と上手に意見交換するということは、重要なことなのだ。この技術は、訓練されずには得られないものである。そこで私は、日本の学校教育でディベートを取り入れることを提案したい。自分の意見をきちんと相手に伝え、反論を聞き、整理し、ポイントを見つけ、さらに説得していく過程で、参加者は意見交換の重要なテクニックを学ぶ。また、感情的にならず冷静な態度を保ち続ける訓練も、ディベートを通してできるはずである。 B ディベートが基本的に勝ち負けを決めるタイプの討論であることを考えると、日本の学校教育で採用することには疑問を感じている。自分の意見を述べたり相手の意見を聞いたりするという行動は言うまでもなく重要であり、その資質を養う必要があるが、その方法としてのディベートには無理がある。なぜなら、日本社会の根底に、人は他者の気持ちを考えるべきだ、争いは避けるべきだ、という考えがあり、争って勝ち負けを決めるタイプのディベートはそれと矛盾しているからである。議論で勝負するのではなく、互いの意見を認め合いながら弱点を補ったり譲り合ったりしながら、協力して新しい考え方をつくっていくブレーン・ストーミングのような討論のほうが適当であると思う。