北朝鮮は、残る12人の被害者のうち「8人は死亡、4人は入国していない」と主張していますが、それらを裏付ける客観的な証拠は何一つ示されていません。
北朝鮮の説明に信ぴょう性はあるのか、帰国した5人と帰国できなかった被害者を分けたものは何だったのか。
1978年に拉致され、24年にわたって北朝鮮での生活を余儀なくされた蓮池薫さん(新潟産業大学・特任教授)がNHKの取材に応じ、その思惑の詳細を語りました。
【なぜ北朝鮮は日本人を拉致したのか】
Q 政府が北朝鮮による拉致被害者と認定している17人は1977年から83年までの7年間に相次いで拉致されました。
はじめに、なぜ北朝鮮は日本人を拉致したのでしょうか。
蓮池薫さん拉致の目的を語る前提として、北朝鮮のどのような機関が拉致を行ったかという点がポイントになります。
上層部の指示に基づいて2つの秘密工作機関が主導して拉致を行いました。
1つは。 もう1つは、1970年に日航機を乗っ取り北朝鮮に渡った当時の過激派「赤軍派」のメンバー(よど号グループ)による拉致ですが、その背後にはという秘密機関の存在がありました。 ともに、秘密裏に情報を収集し組織を作って韓国で革命を起こす、韓国を社会主義国家に転覆させるということを究極の目的として朝鮮労働党内に存在した秘密機関です。 では、拉致の目的は何だったのか。 1つは、北朝鮮の工作員が海外に出て活動するために日本人の「合法的身分」が必要だったこと。 警察用語でと言われるものです。 工作員と年格好が同じで、後で警察に追跡されないよう、前科がなかったり身寄りがない人に近づいて、拉致した。 工作員が拉致被害者の戸籍謄本を入手して、パスポートや運転免許証を取得。 身分を盗用して被害者本人に成りすまし、スパイ活動を展開しようとしたのです。 もう1つはということです。 当時、北朝鮮から韓国に直接入ることが難しくなっていました。 日本人としてなら、比較的安全に、自由に出入りができた。 だから、外国人を連れて来て、何年もかけて思想教育をして北朝鮮のために働くようにした後、工作員として派遣する。 こういう目的のもとに1977年頃から日本人拉致が行われ、外国人も拉致された。 特に若い女性たちが工作員候補として拉致されたんです。 被害者はも担わされましたが、これは副次的な目的で、適性などから工作員にするのが難しい場合は、語学教育係をさせられたと私はみています。 【北朝鮮当局にとって拉致被害者の存在とは】 Q 北朝鮮当局にとって拉致被害者はどのような存在なのでしょうか。 蓮池さん 拉致被害者は北朝鮮の秘密工作機関でずっと暮らしている状況なので、彼らはわれわれに秘密を直接話そうとはしませんが、周りを見たり、ちょっとした会話をしたりするなかで、どういうところなんだな、どういうことをしているんだなということはわかってくるわけです。 しかも、工作員に日本語を教えると、その工作員がどんな顔でどんな人間であるか、名前や経歴はわからないにしても写真を見ればわかる。 そういう秘密に接することになるわけです。 北朝鮮にとって拉致被害者というのは、ということになります。 【帰国者と未帰国者を分けたものは】 Q 2002年の日朝首脳会談で北朝鮮は拉致を初めて認めたが、8人は「死亡した」と説明しました。帰国者と未帰国者を分けたものも被害者の機密性と関係があるのでしょうか。 蓮池さん 北朝鮮は日朝首脳会談で最終的には拉致を認めましたが、ダメージを最小限に抑えたい思惑があったと考えられます。 拉致被害者として表に出す以上、出したくない人と、出しても大きな問題がない人を明確に分けたとみられます。 その線引きの1つは、北朝鮮が今も事件への関与を認めていない、どうかです。 例えば、大韓航空機爆破事件です(1987年に大韓航空の旅客機が日本人になりすました2人の北朝鮮の工作員によって爆破され、乗員乗客115人が犠牲になった)。 拉致被害者の1人、田口八重子さんは、事件を起こしたキム・ヒョンヒ(金賢姫)元工作員に北朝鮮で日本語を教えさせられていました。 北朝鮮は今もこの事件への関与を否定しているので、田口さんを生存者として出して日本語教育のことを証言されたり、事実が明らかになることを避けたい思惑があると考えられます。 「よど号グループ」が拉致に関与した有本恵子さん、石岡亨さん、松木薫さんも同様です。 北朝鮮は、よど号グループの拉致への関与を一切否定していますが、北朝鮮がかくまっているテログループが日本人の拉致まで行っていたとなると、アメリカなどからの批判が強まる。 被害者が帰国して秘密を明らかにされることを避けたかったと考えられます。 もう1つは、です。 生存者として日本政府の前に出す時に「拉致はされましたが北朝鮮で幸せに暮らしています。今さら日本に帰るのは怖いです」などと本人の口から言わせたかったのです。 それが言える人かどうか。 条件としては、北朝鮮で日本に帰りたいというそぶりを見せなかったこと。 そして、家族や子どもを人質として残し、日本に戻しても思うように行動させられる人かどうか。 そうした条件を鑑みて表に出せたのが帰国した私たち5人だったと思います。 例えば、拉致被害者の1人、横田めぐみさんの場合は13歳の時に幼くして拉致され、日本に帰りたいという思いがわれわれと比べてもはるかに強かったと思われます。 北朝鮮が「自分たちの思う通りの発言はしてくれないかもしれない」という危惧を持ったのではないか。 生存していても出せないから、「死亡」ということで日本側に説明したのだと私は思っています。 【「死亡確認書」にも数々の矛盾が】 Q 北朝鮮の「不都合な真実」が暴露されないかどうかで帰国者と未帰国者を分けたということですが、2002年の日朝首脳会談の時に北朝鮮が出してきた8人の「死亡確認書」にも矛盾や誤りがありました。 蓮池さん 例えば、横田めぐみさんに関しては「1993年3月に死亡した」となっています。 しかし、 事実と1年も食い違うというのは、言い間違いとか勘違いでは済まされません。 実際、私が日本に帰国する際、北朝鮮側から「『めぐみさんは1993年の春に亡くなったという噂を聞いた』と言え」と指示されました。 それを聞いた私は「93年は間違いじゃないですか。94年に一緒にいたんですよ」と伝えたんですが、向こうは「いいんだ、これくらいにしとけ」と言った。 これは、「死亡確認書」が完全に作られたものだということを裏付けていると思います。 田口八重子さんと原敕晁さんについての北朝鮮の説明(「1984年に2人は結婚し、その後、原さんが病死したため、田口さんは精神的な慰労の旅に出かけて交通事故で死亡した」)も同様です。 結婚したという時期に、 確実に結婚してはいなかった。 増元るみ子さんと市川修一さんについての北朝鮮の説明(「1979年に2人は結婚し市川さんは9月に海水浴中に死亡、増元さんは2年後に心臓まひで急死した」)についても同様です。 結婚したという時期に、 いずれの「死亡」説明も、「結婚」というのが核になっていますが、その事実自体が間違っているのです。 ずさんで、受け入れられるものでありません。 【カギは北朝鮮の説明をどう覆すか】 Q 北朝鮮の安否説明に信ぴょう性がないなかで、問題の早期解決に向けて今、必要なことは何でしょうか。 蓮池さん 北朝鮮は22年前、われわれをあくまで「一時帰国」という形で日本に行かせました。 彼らとしては「日本で北朝鮮の体制宣伝とかしなくていい」と。 「それよりお前たちの任務は戻ることだ、北朝鮮に戻ることだ」と。 「1週間や10日ということだから」という話でした。 しかし、結果的にわれわれは日本に残りました。 もういたたまれなくて家族や政府には本当のことを伝えたわけです。 北朝鮮はこれは想定外だった。 あれだけ必死になってわれわれを引き戻そうとした理由は、われわれが貴重な存在だからじゃない。 その秘密、この拉致問題を処理する作戦が、われわれによってつぶされてしまう。 それを絶対避けたかったからだと考えています。 私は拉致被害者の皆さんは生きていると信じています。 「亡くなっているかもしれないのに『必ず生きて帰せ』と言うのは無理な話じゃないか」と考える人もいますが、そうじゃないんです。 自分の愛する子どもが「亡くなった」と言われ、さらに「でたらめな説明で納得しろ」と言われているわけです。 これは納得できないことなんです。 今のままではわれわれは受け入れられませんよという話なんです。 ということなんです。 われわれはそれを期待を持って言っているんです。 北朝鮮に「ごまかしはもうききませんよ」と、「もう無駄な抵抗はやめて政治的決断を下してください」というメッセージを発信していくことが大事だと思っています。 (聞き手 社会部 田畑佑典 記者)