沖縄は23
日、20
万人を
超える人が
亡くなった
沖縄戦から79
年の「
慰霊の
日」で、
平和の
祈りがささげられています。
最後の
激戦地となった
沖縄本島南部の
糸満市では、
正午前から
沖縄県主催の
戦没者追悼式が
開かれました。
太平洋戦争末期の沖縄戦では、住民を巻き込んだ激しい地上戦で20万人を超える人が亡くなり、県民の4人に1人が命を落としました。
沖縄県は旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる6月23日を「慰霊の日」と定めています。
23日は各地で平和への祈りがささげられていて最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園では朝早くから遺族などが訪れ、戦没者の名前が刻まれた平和の礎の前で花を手向けたり手を合わせたりしています。
平和祈念公園では正午前から沖縄県主催の戦没者追悼式が開かれ、岸田総理大臣や沖縄県の玉城知事のほか一般の人も参列し正午には全員で1分間の黙とうをささげました。
このあと玉城知事が「平和宣言」を読み上げ「いわゆる安保3文書により自衛隊の急激な配備拡張が進められており悲惨な沖縄戦の記憶と相まって私たち沖縄県民は強い不安を抱いている。今の沖縄の現状は無念の思いを残して犠牲になられたみ霊を慰めることになっているのか」と述べました。
そして沖縄が本土に復帰する際に政府が出した声明に触れた上で「沖縄県民が願う平和の島の実現のため在沖米軍基地の整理・縮小、普天間飛行場の1日も早い危険性の除去、辺野古新基地建設の断念など、基地問題の早期解決を図るべきだ」と政府に対し訴えました。
このほか式では県立宮古高校3年の仲間友佑さんがことしの「平和の詩(し)」選ばれた「これから」を朗読しました。
岸田首相「平和で心豊かに暮らせる世の中を実現する」
岸田総理大臣は、沖縄県糸満市にある平和祈念公園を訪れ、国立沖縄戦没者墓苑で献花したあと、戦没者追悼式に出席しました。
岸田総理大臣はあいさつの中で「先の大戦において、沖縄は凄惨な地上戦の場となった。不発弾の処理やご遺骨の収集は今もなお続いている。沖縄戦の悲惨な実相と平和の尊さを次世代に継承していくことは、われわれに課せられた責務だ」と述べました。
そして「来年には沖縄戦から80年を迎える。県民の皆様のたゆまぬ努力もあり、沖縄経済は着実に成長し、県民生活も大いに向上した」と述べた上で、「強い沖縄経済」の実現に向けて、国家戦略として沖縄振興を進めていく考えを示しました。
一方、今もなおアメリカ軍基地の集中など、大きな負担を担っているとして、政府として重く受け止め、負担の軽減に全力を尽くしていく考えを強調しました。
そして「戦後、わが国は一貫して平和国家としてその歩みを進めてきた。戦争の惨禍を二度と繰り返さないという強い決意のもと、世界の誰もが平和で心豊かに暮らせる世の中を実現する」と述べました。