スケートボードの男子ストリートは29日、パリ中心部にあるコンコルド広場で行われ、東京大会の金メダリスト、堀米選手と、世界ランキング2位の白井空良選手が決勝に進みました。
ストリートは、階段やレールなどが設置されたコースで、45秒の間に何回も技を繰り出す「ラン」を2回、一発の大技で勝負する「ベストトリック」を5回行ったうえで、得点が高かった「ラン」と、「ベストトリック」2つをあわせた3つの合計点で順位を競います。
決勝は前半の「ラン」でアメリカの選手2人が高得点をマークし、白井選手が3位、堀米選手が4位で日本選手2人が追う展開となりました。
後半の「ベストトリック」は1回目に堀米選手が94.16、白井選手が93.80とそれぞれ高得点をマークしましたが、アメリカの2人の選手が安定した演技を2本まとめたため、4回目で白井選手が94点台の演技を見せたものの上位2人には届きませんでした。
一方、堀米選手は1回目の演技のあと3回続けて失敗し、最後の5回目を迎えました。
ここで堀米選手は270度回転してボードの後ろ部分をレールに滑らせる起死回生の大技を見事、成功させて今大会の最高得点となる97.08を叩きだし逆転で2大会連続となる金メダルを獲得しました。
銀メダルはアメリカのジャガー・イートン選手、銅メダルはアメリカのナイジャ・ヒューストン選手でした。
白井選手は一歩及ばず4位でした。
堀米「1%の可能性を最後まで信じてやった すごくうれしい」
スケートボードの男子ストリートで、2大会連続の金メダルを獲得した堀米雄斗選手は「ここまで来るのに本当に諦めかけたこともあった。予選シリーズの第1戦が終わったあとにオリンピックに行けるかもわからない状況だったなかで、1%の可能性を最後まで信じてやったことが実ったのですごくうれしい」とほっとした表情で話しました。
ベストトリックの最終5回目で97点台を叩きだし大逆転した場面については「音楽をかけないで、自分に集中できるようにして、練習してきたことを出そうと思った。自分だけではなく、家族やファンの応援がかぎになった。逆転で優勝を決められて本当にうれしい」と喜びをかみしめていました。
早川コーチ「“人類最強”に近づいていると思っている」
堀米雄斗選手を子どものころから見続けてきた日本代表の早川大輔コーチは堀米選手が高校を卒業してアメリカに渡ると決断した際などにもサポートを続けてきました。
堀米選手が大会で優勝したときには、早川コーチが堀米選手を肩車するのが決まりごとのようになっていてパリオリンピックの舞台でも表彰式のあと、早川コーチが涙を見せながら堀米選手を担ぎ上げてガッツポーズを見せていました。
早川コーチは「全部信じていたので、絶対成功できると思っていた。最後の技が決まった瞬間は叫び声だけで、言葉にならなかった」と振り返りました。
そして堀米選手が最後に決めた大技については「あのトリックは死ぬほど練習していたので、絶対決められると思っていたし成功できたら絶対行けると思っていた」と信頼を口にしました。
そして東京大会からの3年間での堀米選手の成長について問われると、「スケーターとしてよりも人として強くなった。僕の中では“人類最強”に近づいていると思っているし、世の中のスケーターのイメージを進化させてくれたと思う」と最大級の賛辞をおくりました。
父 亮太さん「積み重ねの結果」
父親の亮太さんは、「今回は金メダルが取れてもじっとおとなしく観戦していようと思っていたが、あまりにも劇的だったので、立ち上がってガッツポーズしてしまった」と喜びを語りました。
亮太さんの影響でスケートボードを始めた息子について「僕は技術とは別に、泥臭い努力の部分をすごく重視して教えていた。少し前の話でいうと、雄斗はアメリカでプロになろうと思ったけど、上がっては潰され、上がっては潰される、そういう葛藤を繰り返していたが、それでも諦めないでアメリカでプロになることができた。今回の結果もそういう積み重ねの結果ではないかと思う」と話していました。
そして、「よくやったということばしかないしありがとうという感じだ。とりあえず次に日本に帰ってきたら、焼き肉をおごります」と息子の快挙をたたえていました。
みずから「地獄」と表現 苦しい戦いの日々
地元の東京 江東区で開催された東京オリンピックで金メダルを獲得し、スケートボード界の顔となった堀米選手のその後は、みずから「地獄」と表現した苦しい戦いの日々でした。
金メダルを獲得したあとの堀米選手はスケートボード教室などの普及活動や、スケーターの“名刺代わり”とも言える映像作品の制作、それに新たなスケートボード場設置の企画など活動が多岐にわたるようになりました。
堀米選手は「やっぱりスケートボードが本当に好き。映像制作もカルチャーも、友達とスケートボードをしているだけでも楽しいので、その部分は忘れなかった」と話します。
堀米選手にとってのオリンピックは「自分の人生を変えてくれた大きな大会」であり、オリンピック連覇を「夢」だと言い続けてきました。
その大好きなスケートボードを“地獄”と表現するようになったのは、厳しいオリンピックの選考大会の影響でした。
45秒滑って技を繰り出す前半の「ラン」のミスによって決勝まで進めないことも多く、レベルの高い日本勢どうしの代表争いの中で、オリンピックへの出場すら危ぶまれる状況に陥りました。
最終戦となった6月のアーバンスポーツの予選シリーズ第2戦では、日本勢の5番手から大逆転で代表の座をつかみましたが、「この3年間は地獄のような時間だった」と振り返りました。
それでも、この期間が堀米選手がもともと持っていた勝負への貪欲さを呼び覚ましました。
堀米選手は「オリンピックは全スケーターが人生をかけている舞台。自分もそこは切り替えて、勝ちにこだわらないと勝てない。そういうところはすごく成長させられた」と強調します。
そして子どものころから堀米選手を知る日本代表の早川大輔コーチも「僕も同じ下町出身のスケーターとして、やはり泥臭いほうがかっこいい。いつまでもハングリーでいかないと」とその姿勢を評価していました。
大会前、堀米選手は「スケートボードを広めたいとかいろいろ言っても、やっぱり結果を残さないとそれは実現できない。結果だけを求めていきたい」と語りました。
勝負師としての貪欲さを取り戻した堀米選手は、自身の「夢」をつかむため、進化した姿でパリの舞台に立ちました。
白井「本当に悔しいがいいパフォーマンス見せられた」
スケートボード男子ストリートで4位だった白井空良選手は「本当に悔しいが、体調を崩して医者に止められている状況の中で、最後いいパフォーマンスを日本のみなさんに見せられたのでよかった」と試合を振り返りました。
そして「これからも東京や世界中で行われているスケートボードの大会を応援してもらえるとうれしい」と話していました。
白井と堀米が決勝進出
パリオリンピックのスケートボードは29日、男子ストリートの予選が行われ、白井空良選手と堀米雄斗選手が上位8人による決勝に進みました。
スケートボードの男子ストリートの予選は29日、パリ中心部にあるコンコルド広場で行われ、日本からは世界ランキング2位で22歳の白井選手、東京大会、金メダリストの堀米選手、世界1位で14歳の小野寺吟雲選手の3人が出場しました。
ストリートは階段やレールなどが設置されたコースで、45秒の間に何回も技を繰り出す「ラン」を2回、一発の大技で勝負する「ベストトリック」を5回行ったうえで、得点が高かった「ラン」と「ベストトリック」2つをあわせた3つの合計点で順位を競います。
このうち、白井選手が得意とする後半の「ベストトリック」で1回目から93点台の高得点をマークするなど合計270.42で予選3位、堀米選手が270.18の予選4位で上位8人による決勝に進みました。
一方、小野寺選手はベストトリックで失敗が重なり、177.08で予選14位となり、決勝に進めませんでした。
東京五輪 金メダルの堀米「限界超えたい」
スケートボードの男子ストリートで、予選4位で決勝に進んだ東京オリンピックの金メダリスト、堀米雄斗選手は「ランの1回目から安心感があった。ベストトリックは思い通りにはいかなかったが、予選を通れてよかった」と充実した表情で振り返りました。
決勝に向けては「全部を出し切って、限界を超えたい」と力強く意気込みを話しました。
決勝逃した小野寺「もっとスケートボードがうまくなりたい」
決勝進出を逃した小野寺吟雲選手は「決勝に進めなくて悔しい。練習の時から熱中症みたいになってしまった」と残念そうな様子でした。
今後について尋ねられると「ただ単純にもっとスケートボードがうまくなりたいです」と、はきはきとした口調でさらなる成長を誓いました。